いやあ、とにかく弱いのだ。開幕前の戦力を見れば、下位争い、端的に言えば最下位争いも仕方がないと思っていた。それにしてもここまでとは。6月28日には珍事が起きた。パ・リーグの順位表はオリックスと楽天が1位タイ、ソフトバンク、ロッテ、西武が勝率5割で続き3位タイ。借金15をひとり抱えた日本ハムは「単独Bクラス」とも言える順位表が出来上がってしまった。

 ルーキー伊藤大海の奮投があるからか大連敗はないが、時々思い出したように勝つだけで続かない。コロナ禍の直撃を受け、選手の離脱や試合の中止も強いられた。さらに、そのピンチで攻守に鮮烈な印象を残してくれた五十幡亮汰までも、故障で消えた。もはや何を楽しみに試合を見ればいいのかという方もいるのではないだろうか。

こういうシーズンだからこそ現れる意外な活躍を見せてくれる選手

 パ・リーグをずっと見てきて、ファイターズのもっとも悲惨だった年は1984年だと思っている。前年までは6年連続Aクラスという、球団史上に残る黄金期だった。それが83年オフ、81年パ・リーグ優勝の立役者だったトニー・ソレイタと江夏豊がチームを去った。2人とも、不可解な形で。さらに大沢啓二監督まで現場を離れた。

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 迎えた84年、4月下旬から最下位に定住したうえ、6月28日には就任したばかりの植村義信監督が辞任してしまった。球団常務になっていた大沢前監督が「俺が何とかしてやるよ」とばかりに現場復帰したものの、空気の悪さはすでに手の施しようもなく当時の球団記録となる14連敗。最終的に、優勝した阪急とは29.5ゲーム差という始末だった。シーズン終盤、後楽園球場のジャンボスタンドから下を見ると、数えられそうなくらいのお客さんしかいなかった。ひとり気を吐いたのはトミー・クルーズ。阪急ブーマーに打率で迫り、三冠王を阻止するかというところまで追いつめた。これも結局届かなかったけど。

 ただ、どんなに弱くても、毎日が辛くても、シーズンを放り出すわけにはいかない。誰かの移籍や故障で空いた席は、誰かが埋めなければならない。すると、こういうシーズンだからこそ出番を得る選手が現れる。機会に恵まれなかったうっぷんをぶつけ、意外な活躍を見せてくれる選手もいる。

 84年は、岩井隆之内野手がそうだった。レギュラー遊撃手の高代延博が開幕早々に故障し出番をつかむと、生涯唯一の規定打席到達を果たし打率.286。翌年以降は白井一幸や田中幸雄の台頭に押されて、再びこのような活躍を見せることなく現役を退いた。まさに一瞬の、渋い輝きだった。

 最近で言えば日本一の翌年、5位に終わった2017年だ。交流戦で.396と打ちまくったのは、前年まで1軍25試合にしか出場していなかった松本剛だった。その後、打率4割を目指せる勢いだった同期の近藤健介が故障した穴もカバーし、最後はシーズン規定打席に達してリーグ10位の打率.274。入団から小さなケガ続きで、上沢直之、石川慎吾という同期に後れを取っていた松本に光が当たったのは、我がことのように嬉しかった。