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安部さんは涙をこらえて10回裏を守る近鉄ナインの姿を伝え続けた

 ついさっきまで向かおうとしていた川崎球場の映像が飛び込んできた! 第一試合は近鉄が接戦をモノにして、胴上げを賭けた第二試合が始まっていた。

 日頃は閑古鳥が鳴いている川崎球場のスタンドが立錐の余地もない。途中からでも入れるとタカをくくっていたので、第一試合の開始時点で3万人が詰めかけ満員札止めだったことは衝撃的だった。頭の中を整理していると、不意に馴染みのある声が耳に入ってきた。

 やはり安部さんだった! ABCのキー局テレビ朝日は急遽通常番組を差替えて試合の中継を始めたのだ。球場に駆けつけたとしても門前払いだったから、図らずも南武線の事故は安部さんと引き合わせてくれる、むしろラッキーな出来事だった。

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 両チームの死力を尽くした熱闘に、「This is プロ野球!」「スタジアムは巨大なびっくり箱」と安部節は益々快調で、最後は仰木監督の胴上げ実況で幕切れ……のはずだったけれど、野球の神様とロッテオリオンズの意地はそれを許さなかった。

 22時を廻っても、久米宏さんの「ニュースステーション」枠を使い生中継は続いたが、4時間12分のドラマは延長10回時間切れで引き分け、結局西武が4年連続優勝を遂げた。安部さんは涙をこらえて10回裏を守る近鉄ナインの姿を伝え続けた。

「10.19」第二試合のスコアをABCのスコアシートに再現したもの ©たなてつ

 翌89年近鉄がリベンジの優勝を決めた試合は、安部さんは実況席ではなくベンチレポートを務めた。そしてその後、優勝実況を喋る機会は巡ってこなかった。

 後年、ご本人を訪ねた際「プロ野球、しかもパ・リーグの素晴らしさをお伝えでき、アナウンサー冥利に尽きる実況ができたから充分だよ。でも一番幸せなのは、ひとりの野球ファンとして川崎球場に居合わせられたことだね」と語ってくださったことは忘れられない。

 その後近鉄球団は消滅し、安部さんは2017年に鬼籍に入られたが、「10.19」は永久にプロ野球のレガシィとして伝承される。しかしそれは安部さんの名実況なくして語ることはできないだろう。

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