あの夏からいったい何が……
吸収力の高さは、ここ数ヶ月の成長の要因からも感じるが、高校3年時の1年間の成長でも、それは顕著だった。
2年夏の公式戦を観た際は特に印象に残る選手ではなく、私のスコアブックには打撃成績の他には「体が大きい」としかメモが無かった。
しかし、その秋に柳田監督から1通のメッセージが来た。
「村山という右打者がプロに挑戦したいと言っています。いつかお暇な時に観に来てやってください。粗いのですが、飛距離だけは“かなり”あります」
そこで11月中旬、光星学院高時代に坂本勇人(巨人)らを育てた金沢成奉監督が率いる明秀日立(茨城)との練習試合を取材した。
数ヶ月前の夏に気にも留めなかった村山の姿に目を奪われた。
1打席目に滞空時間がとんでもなく長い大きなセンターフライを打って、大器の片鱗をのぞかせた。相手投手は飯田真渚斗(いいだ・まなと/今春から国学院大進学)。金沢監督いわく当時は「どことやっても10個は三振を獲る。多い時で21個の日もあったくらい」と話す好左腕だったが、その後の打席でさらに村山のバットが火を吹く。ライトオーバーの三塁打を放つと、9回の最終打席では打った瞬間分かる本塁打を右中間に放ち、度肝を抜かされた。
「あの夏からいったい何が……」と思っていると、柳田監督は「金沢監督のおかげなんです」と言う。夏の大会終了後の8月に、村山ら数人を連れて、明秀日立に出稽古へ行った際、金沢監督の指導を受けた村山の打撃が劇的に変わったのだそうだ。
試合後、金沢監督にも話を聞くと「硬さはあるけれど力がある。股関節や膝などそれぞれの関節を上手く使えば大化けする可能性がありますよ」と、その素質を評価した。
打撃のポテンシャルが名将の目にも認められたこともあり、数名のNPB球団のスカウトにもその情報を伝えたが、彼らも視察をすると打撃について一定以上の評価をした。
「出会いの運や縁を生かして結果を残す力を感じます」
一方で課題もたくさんあった。自信の無さが透けて見える守備と、動きの鈍さだ。チーム内の力は抜けているが、捕手としての声は小さく、投手陣を引っ張るような姿も見えにくかった。また、ある練習試合では、4秒を切れば俊足とされる一塁到達のタイムが5秒台を計測したこともあった。
しかし、春・夏と季節が移り変わっていく中で徐々に変化が見えてきた。もちろん足が突然「速い!」と思われるレベルになるわけではないが、動きはだんだんとキレが良くなっていった。投手陣に対しての丁寧な声かけやチーム全体を引っ張る姿勢も見えてきた。
顕著に表れたのが、高校野球最後の試合となった千葉大会2回戦の市原中央戦だ。1点を追う8回に同点打となるセンター前安打を放つと、一塁ベース上でベンチに向けて大きなガッツポーズ。これほどまでに感情を発露し味方を鼓舞する村山の姿を見るのは初めてだった。
試合は延長戦の末に敗れて早すぎる夏の終わりを迎えたが、確かな成長を感じた。
こうした成長過程を最後まで見守っていたのが地元球団のロッテだった。各球団が続々と村山をリストから外していく中、小林スカウトは何度も足を運び、この最後の夏の試合は永野吉成スカウト部長(現統括コーディネーター)が単独で視察していた。課題はいくつか挙げながらも、「キャッチングは良いし、スローイングもなかなか。捕手としての大きな欠点は無いですね」と守備面もある程度の評価をしていた。
そしてその秋、名前がドラフト会議で呼ばれ、村山は「とにかく早く呼んでくれと祈る気持ちでした」と涙を流した。
「出会いの運や縁を生かして結果を残す力を感じます」と話すのは3年間指導した柳田監督だ。
個別で村山の指導をし、スキル向上にひと役買ったトレーナーの北川雄介氏も「村山は相談してくるタイミングが良いんです。なんでも聞いてくるわけではなく、自分で考えて試行錯誤しながら、必要な時に必要なことを質問してくる」と、感受性の良さが印象的だったという。
指導者との出会い、スカウトの視察といったチャンスを最大限に生かした村山は、これからも様々な助言や経験を養分にして、さらに這い上がってくれるのではないか。
「人は変われる」
そうあらためて感じさせてくれる村山には、「最下位指名からの下克上」を大いに期待している。
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