5月10日、中日ドラゴンズ戦。神宮球場からの帰り道に感じたこと
0対1――。点差だけ見れば息づまる投手戦のような結果だけれど、実際のところは両軍ともにチャンスを潰すだけの決め手と盛り上がりに欠ける試合だった。5月10日の中日ドラゴンズ戦、神宮球場からの帰り道、「退屈な試合だったな……」と、僕はつい独りごちる。
その瞬間すぐに、「いや、そんなことを言ってはいけないか……」と自省する。どんなに凡戦に見えても、後に振り返ってみればその試合には、その試合にしかない見どころがあるはずだから。時代を経て、「あの試合を見ていてよかった」と思える日が来るかもしれないから。そんなことを考えたからだ。
なぜ、こんな思いになったのかというと、ここ数日、「見られなかった試合」のことが頭から離れないからなのだ。そのときには何とも思っていなかったのに、時間が経過して初めて、「あぁ、無理してでも観戦に行けばよかったな」と、猛烈な悔いが残る試合があるからなのだ。
昨年末から、今年の始めにかけて、元東京ヤクルトスワローズの館山昌平さんに集中的にインタビューをした。2019(令和元)年限りで17年間の現役生活に別れを告げ、現在は独立リーグ・福島レッドホープスのコーチを務めている館山さん。
今さら紹介するまでもないだろうけれど、現役時代の館山さんは圧倒的な制球力を誇り、08(平成20)年から12年まで5年連続で2ケタ勝利を挙げている。「左のエース」である石川雅規と並んで、館山さんは「右のエース」と称されていた。
しかし、その一方では故障に泣かされ続けた野球人生でもあった。現役17年間で、3度もトミー・ジョン手術を行った。その他にも、右肩血行障害、股関節唇損傷など、現役時代だけで実に9度の入退院を繰り返している。ケガをしても、何度でも立ち上がる不屈の名投手。それが、館山さんだった。
引退試合は19年9月21日、神宮球場で行われた対中日ドラゴンズ戦だった。この日、館山さんは自身通算207試合目となる先発マウンドを託されて、中日の先頭打者・大島洋平をセカンドゴロに打ち取ったところで現役最後のピッチングを終えた。
この日、同じく引退する畠山和洋とともに行われた試合後の引退セレモニーは感動的だった。館山さんのスピーチでは、石川への謝辞が述べられた。その瞬間、バックスクリーンには石川の表情がアップになる。その瞳からはひと筋の涙がこぼれ落ちていた。東都大学リーグ時代から切磋琢磨してきた両者にだけしかわからない濃密な時間が、そこには流れていた。神宮球場ライトスタンドで、僕もまた感動していた。
館山昌平が言う「本当の引退」試合の意味とは?
館山さんへの取材では、当然この日の思い出話も伺った。当日の心境を語っている際に、彼はこんな言葉を口にした。
「でも、《本当の引退》というのはすでに済ませていましたからね……」
僕が見たあの日の試合の前に、実は「本当の引退」があったのだという。どんな意味なのか、質問を続けた。
「神宮での引退試合の前に、ファームで本当の引退試合を行っているんです。楽天戦で、石巻で行われた試合ですね」
手元のタブレットで調べてみると、19年9月8日の楽天対ヤクルト戦において、確かに館山さんが先発している。この試合が、彼にとっての「本当の引退」試合なのだという。
「もう引退することは監督には伝えていたので、“思い切り投げてこい”と送り出されて、5回途中まで投げました。最後は打たれて降板するんですけど、“これが最後の試合になるかもしれないから”ということで、家族も呼んでいました」
館山さんの言う「監督」とは、当時二軍監督だった、髙津臣吾現一軍監督のことである。帰宅後、この日の試合について振り返ってみた。ヤクルト、楽天、両チームの公式ホームページには、詳細な試合データが掲載されていた。ヤクルトのスターティングメンバーを見ると、「4番・坂口智隆」とあった。今季売り出し中の濱田太貴は7番でスタメン出場し、4打数3安打と活躍している。
投手陣を見ると、先発の館山さんから始まって、中尾輝、中澤雅人、蔵本治孝、風張蓮、そして五十嵐亮太へと継投されている。アメリカで現役続行を模索している風張を含めて、6人の投手全員がすでにNPBでの現役生活を終えている。わずか2年半前のことなのに、ときの流れを痛感する。