連日の猛暑で頭の中を巡る様になった幻想ではありません。今、実況中継に向けて日々の取材で触れる言葉や画面から「ベイスターズ、多分大丈夫じゃないかな」と感じ取れることがあります。なかなか思う様に事が運ばず不都合が連続する勝負の中にあって、絶妙なバランスを生み出し、チームを元気づける存在となる選手がいるからです。

 暑さが本格化してきた頃からでしょうか、ベイスターズ先発投手の表情に少し変化を感じるようになりました。ある程度試合を作りながら6回あるいは7回のイニング途中でマウンドを降りる際に、誰もが実に悔しそうな顔をします。降板後に発表される談話にも「イニングの途中でマウンドを降りることになり申し訳ないです」という無念の思いが。

 どんな心の内なのだろう? エース今永昇太投手に伺ったことがあります。

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「何度か同じ談話を聞くとファンの方も嫌になってしまうかと、反省しています。先発するからには完投を目指しますが、できなかった場合どういう形でマウンドを降りたかも問われる。降板後もチームに良い影響を与えないといけない。イニング途中で降板するとリリーフの方に一層の負担をかけてしまう。先発投手がチームに不安を与えた数だけリリーフ投手の方たちは試合中何度も登板準備をしていることを、絶対に忘れてはいけないと思います」と話してくれました。

 現在チームの勝ち頭、登板前日の大貫晋一投手からも「7回は投げ切りたい」という言葉を聞くことがあります。この時期、先発投手皆の間でリリーフ陣に過度な負担をかけたくないと強く心に決めている様子を感じ取れます。

 それでも、無念の降板はどうしても存在します。

 イニング途中でバトンを託され、「感謝しかありません」と多くの先発投手から名前が挙がる頻度が、とりわけ高いのが田中健二朗投手です。

田中健二朗

「試合中何度も登板に備えて肩を作っている」

 横浜スタジアムでは自身の登場曲、TVアニメ「鬼滅の刃」でおなじみの“残響散歌”に乗って颯爽と登場。スコアリングポジションにランナーがいても動じず、ボールが先行しても平気でカーブを続けてカウントを整える。ピンチを切り抜けると絶賛の拍手を贈るベンチへと涼しい顔で戻り、一度汗を拭う。何もかも恰好いいのです。7月3日現在32試合に登板し3勝0敗、防御率1.08と、いつ出番が来るか分からない役割の中で驚異的な数字。一昨年までベイスターズのブルペンを支えたパットン投手は、かつて「ブルペンのメンバーはファミリー」と表現しましたが、田中健二朗投手は正に頼れる長男。苦しさは内に秘め、難しい局面を見事なバランスで軌道修正してくれるのです。

 ここまで心に焼き付く存在の投手に出会ったのは、いつ以来だろう。思案しながら先日、川村丈夫さんとお話ししました。川村さんは去年までベイスターズ投手コーチを務め、現在は独立リーグの神奈川フューチャードリームスの監督。2006年前後ベイスターズの必勝継投(通称クアトロK)の一角を木塚敦志投手、加藤武治投手、クルーン投手と共に担いました。

「当時左投手がいなかったので、フォークボールを持った自分が相手打者の左右に関係なく登板していました。でも、一番厳しい役回りだったのは木塚投手(現投手コーチ)だったと思います。4人の中で最も登板場面が読みにくく、急な指名に応えるべくブルペンで何度も肩を作っていました。蓄積した疲労で腕も思う様に上がらなかったはずです」と川村さんは当時木塚投手が果たした役割を称えました。

 現在のブルペンについては「田中健二朗投手が試合中何度も登板に備えて肩を作っている。ワンポイントになるか、試合終盤、場合によっては延長戦になってからも1イニングを任されるかもしれない、大変な立場です。肘の手術から本格復帰の今シーズンは体つきも含め、本当にたくましくなりました。けがを糧に強くなるというのは、こういう事なのでしょうね」と暖かい眼差しを送ります。

 今はブルペンを担当する木塚投手コーチも継投の話になると真っ先に田中健二朗投手をねぎらいます。チームが求める場面で田中健二朗投手をマウンドへと送り出す木塚コーチの思いは、どこまでも深く尊いと感じます。

©tvk

 田中健二朗投手は左肘の手術を行った2019年夏以降長いリハビリを行ってきましたが、その間同じ手術をした東克樹投手をはじめ、多くの若い投手達に背中を見せ続け勇気を与えました。先月6月22日育成から支配下選手登録となり会見を行った2年目の石川達也投手が「選手の中で、最初に報告したのは健二朗さんです」と話していたのも頷けます。