木村先生。

 先生ご無沙汰しております。川崎のヤング主婦代表、西澤です。また今年もこの季節がやって参りました。交流戦です。大学で教鞭をとられる高明な先生と、ラッパーかライターになるしかない町で育った主婦が一年に一度、その身に刻まれた青痣をさらけ出し合う、文春野球の奇祭です。

 オリックスファンとベイスターズファン。それは言うなれば、生まれた朝に手渡された旅行鞄に、我々だけ重い砂袋が入っていた。薄々その重さに気づきながら、その重さすらも愛してしまった故に手放すこともままならず、いつの間にか異常に発達してしまった心の上腕二頭筋。なかやまきんに君は言います。筋肉はバランス良くつけましょう。パワー。

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 今回この対戦テーマ「負けた時の立ち直り方」を提案したところ、先生は「難しいな……」とおっしゃったそうです。おそらくちょっと困った顔で、「ああ、まだそちらはそういう感じですか……」と軽くため息の一つもつきつつ、「(優勝したチームになんて提案するんですか)了解です」とお返事をくださったのだと思います。もうそれはオリックスファンとしての木村先生ではなく、教育者としての木村先生。いや、分かっています。ズッ友と信じていたカープも気づけば優勝、3連覇、主砲・鈴木誠也選手が抜けてもなんのその。優勝のトロフィーが飾られたショーウィンドウをいつも一緒に眺めていたはずのオリックスもまた、2021年、歓喜の渦へと消えていきました。旅行鞄の砂袋を私の足元に置いて。

このままハマスタに雷が落ちて、全てがなかったことになったなら

 今年こそはと誓って手に入れた開幕戦のチケット。私はそれを握りしめながら、夜の港町をひたすら歩いていました。143試合の中の、たった1敗。そのたった1敗の向こう側にいるカープファンの笑顔を横目に、同じ京浜東北線に乗ることがどうしてもできず、気づけば関内駅を通り過ぎていました。「子どもと来なくてよかった」と、その時は懸命に「よかったこと」を見つけようとしていました。次男の現地勝率は、今年のベイスターズの週末勝率とほぼ同じ。彼もまた、重い砂袋の入った鞄を引き摺りながらハマスタに来ては「スターマンいたね」「みかん氷冷たかった」と、野球以外の客観的事実を積み重ね、今日という負けを「長い人生の中のたった一日」へと収束させようとするからです。

 大岡川が見える頃には、尾上町通りもだいぶ静かになります。静かになれば蘇ってしまう、今日の試合の逆ハイライト。開幕戦の緊張、なれないポジション、ハマスタの内野は無重力になってしまったのかと思うくらい、地に足のつかない選手たち。一つのエラーが伝播し次のエラーを呼び、投手のリズムは崩れ、たった一つのアウトを取るために地球上の酸素を全て使い果たしてしまうくらいの息苦しさ。観ているファンは激しい呼吸とヤバめの無呼吸を繰り返しながら、2022年の開幕戦は終わりを告げました。

 私事ですが先生、高3になる長男は野球部に所属しております。チームメイトの怪我から急遽ファーストに指名された外野手の長男と、開幕戦のファースト知野直人選手のエラーが重なってしまうのでした。試合から帰ってくると「ボールが来ると頭が真っ白になる」と呆然として、野球をよく知らない私はなんと声をかけていいのかもわからなかった。慣れたポジションでは勝手に動く体が、まるで自分じゃないようになると。

 プロ野球選手なのだから、せっかく掴んだチャンスなのだから……そのことに寸分の異論はありません。しかしあの日の知野選手が、顔面蒼白で右往左往する長男と重なり、このままハマスタに雷が落ちて、全てがなかったことになったなら。大岡川にかかる大江橋の上で、乗るはずだった京浜東北線を眺めながらそんなしょうもないことを考えていました。