「巨人をやめなければよかった」と思ったことは？
12球団合同トライアウトを受験したが、山下のもとにNPB球団からのオファーは届かなかった。口さがないファンは「セルフ戦力外」と山下を揶揄した。
――巨人をやめなければよかったと思ったことは、一度もありませんか？
そう尋ねると、山下は「よく聞かれるんですよね」と苦笑しながらこう答えた。
「まだ22年しか生きてませんけど、今まで人生で後悔したことがないんです。僕の人生なので、僕がいいならいいかなと。やりたいようにやれて幸せです」
トライアウトから3日後、社会人野球の強豪である三菱重工Eastの大川広誉GMから連絡があった。
「納得するまでNPBからのオファーを待っていいから」
そんな懐の深い大川GMの言葉に、山下は「三菱にお世話になろう」と決める。
待遇は「プロ契約」である。午前中は出社する義務がある社員選手とは違い、午後から練習に参加する契約だ。社業で貢献できない分、当然野球での結果が求められる。
それでも、山下の打撃感覚は戻っていなかった。
「プロ契約なので、やらなきゃ、やらなきゃ……という焦りがめちゃくちゃありました。最初のオープン戦はよかったんですけど、その後は僕の状態が悪すぎて……」
社会人野球は夏場に東京ドームで開催される都市対抗野球大会が、最大のイベントと言われる。企業チームは会社の威信をかけて観客を動員し、大応援を展開する。そのため、「都市対抗本戦への出場」は企業チームにとって至上命題になる。
だが、大事な都市対抗予選で山下はレギュラー獲得どころか、ベンチ入りすらできなかった。悔しさを覚えつつも、山下は「だろうな」と納得していた。打撃面で結果を残せないばかりか、ベースにつまずいてフライを落とすなど凡ミスも連発していたからだ。チームは予選で敗れ、都市対抗出場を逃した。
三菱との契約は1年単位である。このまま結果を残せなければ、来季の契約が更新されない可能性すら考えられる。山下はいよいよ崖っぷちまで追い詰められた。
光明が見えたのは、8月上旬だった。憧れの吉田正尚の打撃動画を見ていた山下は、吉田のヒッチ（グリップを一度下げてから上げる予備動作のこと）を見て「取り入れてみよう」と考えた。すると、自分の打撃にフィットする感覚があった。
「ヒッチを入れてみると、たまたま感触がよくて。それからちょっとずつ歯車が回ってきた感じがあります」
三菱重工Eastの佐伯功監督は、日本選手権予選で「いい場面がきたら山下を代打で使おうと思っていた」と明かす。
「元プロということで相当にプレッシャーを感じて、苦しい時期も長かったと思います。でも、今は気持ちもスッキリしたのか、バッティングの調子も上がってきました。まだ22歳ですし、これからも戦力になってくれると期待しています」
山下は今、10月30日に開幕する日本選手権に向けてアピールの日々を過ごしている。レギュラー陣の壁は高いが、山下は「結局は僕次第なんですよ」と語った。
「先輩たちのレベルは高いし、チーム内の競争も激しいです。でも、結局は僕次第であって、周りはあまり関係ありません。やっと感覚もよくなってきたので、応援してくださる方に元気な姿を見せたいですね」
自分を拾ってくれた三菱重工に恩返しするために。そして、もうひとつ。山下は「巨人時代からのファンの方が、今も応援にきてくださるんです」と笑った。
「僕の名前がプリントされたオリジナルのTシャツや帽子をかぶって、応援してくれるんです。そんな人の姿を見ると、活躍してるところを見せたいですよね」
最後に、巨人ファンに向けて送りたいメッセージはあるか。そう問うと、山下は「なんて言ったらいいかな」とはにかんで、こう言葉を紡いだ。
「『巨人を離れても、僕は元気でやってます』……かな」
まだ22歳。その野球人生は、いまだ序章に過ぎないはずだ。
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