ロッテ選手たちの高校時代って、そう言えばどんなだったのかな。
巷が夏の甲子園で盛りあがる最中。ふと思いたって、世田谷・八幡山の大宅壮一文庫に行ってきた。
一応、ご存じない方のために補足しておくと、大宅壮一文庫は、明治期から現在までのありとあらゆる雑誌を収蔵している日本で唯一の雑誌図書館で、入館料の500円を払えば、誰でもデータベースにアクセスができて、15冊まで読むことができる(追加したいときは10冊ごとに100円)。
いまや入手困難なあらゆるジャンルの貴重な資料もたくさん収蔵しているとあって、出版業界に身を置く人なら、一度は利用したことがあるであろう、言わば“御用達”の場所でもある。
端末に好きなキーワードを打ち込むだけで、おもしろそうな記事索引が瞬時に出てくる。そんな書き手、並びに文系野球ファンにとってはパラダイスのような場所だから、やはり今回も「ロッテ選手の高校時代をリサーチする」という本来の目的を忘れて、“脱線”をしまくった。
いまでは考えられないバッチバチなインタビュー記事
たとえば、「有藤通世 インタビュー」と検索すれば、現役引退から即監督となったばかりの有藤さんが、中日に移籍した落合博満さんのことを、他人行儀にひたすら「彼」と呼びながら、「彼がいては守備練習ができない」「ピッチャーは喜んでますよ」などと赤裸々に語っちゃう、いまでは考えられないバッチバチなインタビュー記事が即座にヒット(『週刊大衆』1987年3月23日号)。
青学大時代の井口資仁(当時・忠仁)さんもジャーナリスト・二宮清純さんの取材に応えて、「卒業までに最低30本は打ちたい。できれば永遠に抜かれないような記録をつくってみたい」と強気な発言。「フォアボールは好きじゃない」「去年4打席連続フォアボールがありましたが、まったく試合をやった気がしなかった」と、ロッテでの選手・監督時代のジェントルな印象とはまったく違うトンガリまくりな若き日の一面を垣間見せてくれる(『現代』95年12月号)。
(※ちなみに、井口さんの大学通算24本塁打は現在も東都リーグの歴代最多記録)
また、99年の『週刊ベースボール』(3月22日号)には、東京ガスから逆指名でロッテへの入団を決めた、まだ“防波堤”になるまえの自信満々な小林雅英さんの姿も発見。同じ98年ドラフトの超目玉だった“怪物”松坂大輔さんを引き合いに出した「自分のほうが上だ、という自信はあるか」との問いに対して「それは、ありますよ」、「いままで高校生だけを相手にしてきた人に比べれば、僕のほうが経験が上なのは当然」と不敵に言い放つ初々しさに、思わずニヤリとなってしまう。
2度の日本一を牽引した西岡剛に至っては、ブレイクした2005年オフのインタビューで、日替わり打線で知られた当時のボビー・バレンタイン監督に「なぜ出してくれないのか」、「出られない根拠は何か」と詰め寄ったエピソードを自ら披露するなど、高卒3年目とは思えないほどフルスロットルの“ツヨシ節”(『SPORTS Yeah!』12月15日号)。
41盗塁をマークして獲得した初タイトルに「満足しているか」と問われて、「全然。だって、ボビーが(ベンチから)ストップをかけるから(笑)」と即座に返す大物っぷりを見せつけ、掘り出したタイムカプセルよろしく18年後に記事を読み返しているこちらを「いまのロッテ若手陣に足りないのはコレだよなぁ……」と、遠い目にさせてくれたのだった。
とまぁ、こうして気になる過去記事を読みふけっているだけでも至福の時間だったわけだが、もちろん本来の目的、「ロッテ選手の高校時代」も忘れてはいない。
今季活躍中の主要選手たちの名前を1人ずつ端末に打ち込み、彼らが聖地・甲子園を目指す坊主頭だった頃の雑誌記事をさらってみた。