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脱北した朝鮮労働党元幹部が語った、「金正恩バッジ」に滲む“思惑”

 その忠誠心の象徴とも言うべきバッジのデザインを金正恩氏1人に絞った。北朝鮮を脱北した元労働党幹部は「金正恩の自信のなさの表れ」だと指摘する。父、金正日総書記のバッジもあったが、主に治安機関の要員らが着用し、一般には広く流通していなかった。

 元幹部は「金正日は自分の権力に自信があった。人々が本心で自分に忠誠を誓っていないことは知っていたが、力で押さえつけられるという確信があった」と語る。金正日氏自身のニヒリズムもあったかもしれないが、あえて人々に「忠誠の踏み絵」を踏ませることもないと考えていたようだ。

8日、「金日成主席逝去30周年中央追悼大会」に出席した金正恩総書記(写真中央) ©朝鮮通信=時事

 金正恩氏の場合、祖父のようなパルチザン仲間や、父のような北朝鮮で一緒に学んだ学友がいるわけではない。金日成氏が、金正恩氏の母親の高英姫氏と金正日氏の結婚を正式に認めなかったため、幼少期は存在がほぼ秘密にされていた。当然、幼いころから親しくしていた側近もいない。

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 金正恩氏は昨年末に開かれた党中央委員会拡大総会で、韓国との関係を「敵対的な2国間関係」と定義し、「根本的に闘争の原則と方向を転換すべきだ」と宣言した。元幹部は「北朝鮮の市民は韓国の文化や生活にあこがれている。黙っていたら韓国に吸収されてしまうと考え、韓国は敵だと訴えたのだろう」と話す。こうした余裕のなさが、人々に「忠誠の踏み絵」を踏ませたい動機になったのだろう。

 しかし、民族統一こそ、金日成氏が掲げた悲願ではなかったのか。北朝鮮の元駐英公使だった太永浩氏の著書「三階書記室の暗号 北朝鮮外交秘録」(文藝春秋)によれば、金日成氏は1990年に南北国連同時加盟の話が持ち上がると、「2つの朝鮮」をつくって、分断を固定化しようとする「帝国主義国家の策略である」として真っ向から反対したという。金日成氏がまだ生きていたら、金正恩氏の「敵対的な2国間関係」という定義を聞いて卒倒しただろう。