5月17日に公開された韓国の文在寅前大統領の回顧録「辺境から中心へ」が同国のベストセラー第1位になった。その売れ方の背景は様々だ。「テッケムン(テガリ=頭が、ケジョド=壊れても、ムンジェイン)」と呼ばれる熱狂的な文在寅支持者たちは当然、出版を大歓迎した。逆に保守系の人々からは「自分勝手な解釈と主張ばかりだ」という非難の声が上がった。日本と安倍晋三元首相に対するあけすけな批判の数々、「観光旅行疑惑」で騒ぎになった文氏の妻、金正淑女史のインド訪問を巡る釈明と反論など、「突っ込みどころ満載」といった風情で、お茶の間の話題を独占しているという。

 そのなかで、改めて浮き彫りになったのが、文在寅氏の金正恩総書記に対する全幅の信頼感だ。回顧録では出会ったときの印象について「礼儀正しく、相手を尊重する姿勢が身についていた」と評価した。18年4月の南北首脳会談後の記者会見について、文氏は「(金正恩氏は会見を)一度もやったことがないので、どうやったらよいか、どんな内容を盛り込めば良いかと聞いてきた」と説明。そのほか、18年6月に実現した米朝首脳会談の場所や移動手段についても、金正恩氏から相談を受けていた事実を明らかにした。

©AFP=時事

北朝鮮が誇る「人たらしの技術」

 普通、相手から頼られて気分が悪くなる人はいない。北朝鮮はこうやって相手を心理的に武装解除させるのが得意だ。脱北した元北朝鮮政府関係者によれば、最高指導者が外国の首脳と会談する場合、担当機関が相手の首脳を徹底的に研究し、「最高指導者の談話に関する参考資料」を提出する。文在寅氏の場合は当時、南北関係を担当していた党統一戦線部(現・党中央委10局)が作成したとみられる。参考資料には相手の生年月日や出身地、親族に始まり、関心事項や趣味、禁句(タブー)などが盛り込まれている。「当然、何を話せば、先方がこちらに好意を持つのか、という点も重視される」(同関係者)という。

ADVERTISEMENT

 昔、アフリカ・トーゴのエヤデマ大統領が訪朝した。エヤデマ氏は軍人出身で、かつて陸軍での落下傘訓練の際に足に大けがを負ったことがあった。北朝鮮は事前に、エヤデマ氏が今も膝の痛みに悩まされているという情報を入手。金日成主席に提出した参考資料に「ひざの状態を気遣ってやれば、エヤデマは大喜びする」という記述を盛り込んだ。実際、金日成主席は首脳会談の際、「膝の具合はどうですか。もし状態が良くないようなら、医師を紹介するから我が国で診療を受ければよいでしょう」と語った。エヤデマ大統領は感激し、泣いて喜んだという。当然、会談はうまく行った。