史上最大の海戦ともいわれ、事実上、日本軍連合艦隊の最後の組織的な戦いとなった「レイテ湾海戦」。1944年10月、栗田提督率いる中央艦隊はサマール島沖で千載一遇の勝機を前にし、ついに大和の主砲が火を噴く。しかし空母群との追撃戦は膠着状態に陥り、栗田はレイテ湾に突入しないまま、反転避退を指示した。

 一方、囮の小沢艦隊に食いついて北方に全部隊を移動させていたハルゼーは急遽反転するが、避退する栗田艦隊の末尾をかろうじて捉えたのみに終わった。ハルゼーの誤算と栗田の失策。どちらかが違う決断を下していれば、その後の太平洋の戦いは違うものになったのだろうか? 

 米国の詳細な資料から、「アメリカ側から見た太平洋戦争」の全てを描き切った巨編ノンフィクション『太平洋の試練 レイテから終戦まで』(上下/イアン・トール著、村上和久訳/文藝春秋)より、一部を抜粋してお届けする。〈全3回の3回目/はじめから読む〉

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五つ星の海軍元帥への昇進にともなって、終戦後すぐに撮影されたウィリアム・ハルゼー・ジュニア提督の公式ポートレート(写真=『太平洋の試練 レイテから終戦まで』より)

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 史上最後にして最大の、もっとも詳細に研究された海戦であるレイテ湾海戦は、独自のサブジャンルである。何世代もの研究者が自分の意見を述べてきたが、新しい先駆的な寄稿論文が毎年登場し、さまざまな論議はいまも活発な討論の対象となっている。これはとくに、ハルゼーと栗田の論議を呼ぶふたつの決断にあてはまる――全部隊を北へ持っていくという10月24日夜のハルゼーの決断と、攻撃を中止するという10月25日朝の栗田の決断に。

 はじめてこの海戦の重要な歴史書を著したC・ヴァン・ウッドワードは、「レイテ湾海戦におけるふたつの重大な失敗は、アメリカの短気者と日本のハムレットのものであると正当に考えられる」と断じている。アメリカ側から見ると、反転するという栗田の決断は幸運にも、サン・ベルナルディノ海峡を守らなかったハルゼーの失敗を帳消しにした。代数方程式の対立項のように、ふたつの失態はおたがいに打ち消しあったのである。