「シリコンバレーのドン」の異名をとるベンチャー投資家であるとともに、言論人としても大きな注目を集めるピーター・ティール氏。今回、宗教系誌First Thingsに2025年10月1日付で発表された論考(原題 Peter Thiel & Sam Wolfe, Voyages to the End of the World(「世界の終わりへの航海」)が全訳され、その前半部分が「文藝春秋」2月号で「ピーター・ティールのワンピース論」として掲載された。
今回は論考の中から、哲学者F・ベーコンの著作『ニュー・アトランティス』への考察を中心に紹介したい。ベーコンは近代のはじめに「反キリスト」を論じた人物であり、この概念は現在の世界を考える上でも大きな意義をもつものという。(訳・解説 会田弘継)
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現代人が忘れた「大切な名前」
1953年、ドイツの哲学者ヨーゼフ・ピーパーは「反キリストという名称は現代人の耳には奇妙に響く」と記した。2025年の現在、反キリストという名称はまるでノアの箱舟以前の大昔の言葉のようにさえ聞こえる。ベーコンの青年期に活躍したソールズベリー司教ジョン・ジュエルは「老いも若きも、学識ある者も無学な者も、反キリストの名を知らぬ者はいない」と断言している。現代人がそんな大切なことを忘れてしまったことは、過去のキリスト教徒にとって驚きであるだけではなく、反キリストの登場が差し迫っている兆候と見なされるであろう。
ベーコンは自分が描いたユートピアに反キリストを君臨させた。ベーコンの教えは表向きキリスト教的だが、その下にひそむものは何か。ベンサレムの華やかな衣装と儀式は、悪魔のミサに用いる神聖文字のようなうわべの飾りなのか、それとも古代の神の教えの声なのか、無神論的唯物論を偽装する粉飾なのか。我々はベーコンが隠れ無神論者であり、戯れに反キリストを呼び出したのではないかと疑う。ベーコンの秘書を務めたことのあるトマス・ホッブズが悪魔に因んで自著を『リヴァイアサン』と名付けた。しかしキリスト教徒の読者は、そのような戯れが全く無害ではありえず、ベーコンが悪魔的なものに手を染めたのであれば、悪魔的なものもまた彼に手をつけたと憂慮すべきである。
いずれにせよ、ベンサレムをキリスト教信仰の篤い国だと解釈するほどまでにベーコンが聖書に無知だったなどということはあり得ない。ベンサレムを理解するには、反キリストが聖書の中でいかに描かれているか、その起源に目を向ける必要がある。悪の王、すなわち反キリストは旧約聖書のイザヤ書、エゼキエル書、ダニエル書に登場する。ダニエル書は人類史の四大帝国を想像の獣にたとえ、最後の獣は「10の角」を持ちローマ帝国を表している(同書7:7)。天使はこれらの10の角はローマの没落と共に現れる「10人の王」を象徴すると説明する(同書7:24)。ダニエル書は、この10の角が11番目の角に征服されると預言した。「その角を眺めていると、もう一本の小さな角が生えてきて……小さな角には人間のように目があり、また、口もあって尊大なことを語っていた」(同書7:8)。この「小さな角」は、最後の日の前に3年半の間、世界の大国小国を支配した。




