人生の岐路に立った時、ある人物の一言が運命を左右することがある。“最強官庁”と称される財務省から森友事件の文書開示を勝ち取った赤木雅子さんにとって、その実現はこの人無くしてあり得なかった。先月亡くなった阪口(とく)()弁護士、享年82。真相解明の半ばで大きな存在を失った。

森友事件に力を注いできた阪口弁護士

 雅子さんが初めて阪口弁護士と会ったのは5年前。夫の赤木俊夫さんが森友学園との土地取引を巡る公文書の改ざんを命じられ、命を絶って2年が経とうとしていた。財務省に真相の説明を求め、裁判を起こそうと考え始めた矢先のことだった。

近畿財務局職員だった赤木俊夫さん

 当時は代理人として財務局から紹介された弁護士がついていた。財務局での勤務経験があり、何かと財務局寄りの発言が目立ったという。心ない発言をされ、泣きながら帰ることもあった。そこで他の弁護士の意見を聴きたいとなった時、私はこの人ならばと阪口弁護士を思い浮かべた。

 阪口弁護士は1942年、大阪・岸和田の農家に8人きょうだいの末っ子として生まれた。学生時代、社会活動に熱中して就職先が決まらず、弁護士になった兄の影響で司法試験を目指した。近所の寺に籠り1日12時間の猛勉強を重ねて合格。2年間の司法修習を終え、いよいよ弁護士という時に事件は起きた。

「私、弁護士さんを変えます」

 71年、与党政治家の間で「不本意な判決が相次いでいる」と不満が高まる中、裁判官を希望した司法修習生7人について最高裁判所が任官を拒否した。民主主義や人権擁護を掲げる青年法律家協会に関わっていたことが理由と受け止めた修習生たちは反発を強める。クラス代表だった阪口氏が終了式で任官拒否者に10分だけ発言させてほしいと求めたが、「品位を辱める行為」とされ罷免処分に。弁護士を目前に道を絶たれた。

 これに対し阪口氏は全国各地を回り、講演や集会で処分の不当を訴えた。後に雅子さんが夫の残した通称「赤木ファイル」の開示を求め全国行脚を行った際、「わしと同じことしよるなあ」と励ましたこともある。2年後、阪口氏は地位を回復し弁護士になることができた。

「これは多くの国民に支えられたおかげ。自分は国民のためになる“社会派弁護士”になろう」

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source : 週刊文春 2025年5月15日号