(なかじまたけし/1948年福岡県田川郡生まれ。東京・東村山で育つ。拓殖大学商学部卒業後、東急航空に入社し、1カ月で退職。90年「際コーポレーション」設立。「紅虎餃子房」「万豚記」や「にょろ助」「富金豚」など、約300もの飲食店を経営し、外食産業のカリスマと呼ばれる。)

にらと海老がたっぷり入った韮饅頭、黒酢で作る真っ黒な酢豚、長方形の餃子をフライパンで焼く鉄鍋餃子、花椒が痺れる濃厚な胡麻風味の担担麺など、様々な料理でブームを生み出してきました。冴えた味覚や特別な感性、潮流を読む勘があるなんていわれもしますが、トレンドは作ろうと思って作れるものではありません。あくまでも結果に過ぎない。外食産業にはどこにでも可能性があるんです。今日もどこかで新しい何かが生まれています。その変化の中にこそ、チャンスがあるんですよ。
「紅虎餃子房」、「万豚記」、「タイガー餃子」などの飲食店の名前を見聞きしたことはないだろうか。中国料理、日本料理、うなぎ、とんかつ、イタリアンまで全国で展開する店舗は約300。これら飲食業を中心に、宿泊業、家具・衣料・雑貨販売などを行う「際コーポレーション」を率いるのが中島武さん。打ち出す料理が次々と世の中を席巻する外食産業の“カリスマ”は、1948年、福岡県田川郡に生まれた。
両親は上海で出会って結婚したんです。父は軍人として渡航後に起業し、母は宮崎県の女学校を卒業して軍のタイピストの仕事をしていました。終戦後に母の実家のある福岡県田川郡に引き上げ、そこで僕が生まれました。五木寛之先生の小説「青春の門」の舞台になった炭鉱の街です。
3歳で父の生まれ故郷の東京・東村山へやってきました。現在の西武多摩湖線八坂駅の近くの土地を、立川に所有していた土地と交換して手に入れたそうです。600坪の広さで、檜造りで2階建ての一軒家でした。辺りは雑木林ばかりで、近所の子と暗くなるまで外で遊んでいましたね。
上海で料理を覚えた母が作るのは中華の炒め物。朝から肉を使った料理が並んだ
だが幼き日々、家庭内は複雑な状況だった。両親が不仲で母は数年間、実家に戻ってしまう。
母は美人で僕の自慢でした。当時の女性としては最先端の職業に就いた経験からか、おしゃれで知的な雰囲気もあって。薄緑のチャイナ服を素敵に着こなしていたのを覚えています。
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source : 週刊文春 2025年10月16日号






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