立ち飲み屋で飲むおじさんは帰りの電車で座るのだろうか?
夜、立ち飲み屋の前を通った時に感じた疑問である。この疑問は我ながら面白かった。もし帰りの電車でも立っているとすれば、何故そんなに立っていたいのかという面白味があり、席に座るとすれば更に面白い。わざわざ立って飲む店に居たのに電車では座るという矛盾。どっちにしろ面白い。
下戸の僕にとって不可思議な文化、立ち飲み屋について呑み助達に聞いてみた。何故立って飲むのか? 成程な答えが返って来た。深酒を防ぐ事が出来るのだそうだ。立ちっぱなしだと疲れるから、良い頃合いに切り上げる事が出来るのだと。呑み助ならではの答えは何とも魅力的だった。
初めて酒を飲んだのは大学生の頃。同時に自分は全く飲めない事を知った。時は昭和。その頃の大学生と言えば、一気飲みや酒の強制が当たり前の世界である。飲める人間になりたかったのもあり、安酒を飲みまくってみた。そして毎度直ぐに嘔吐しダウンしていた。しまいには、どの酒が一番吐くのに楽かという事まで分かって来た。ビールだ。ビールを飲み、そろそろいける!と吐くタイミングをコントロール出来るまでに成長したのだ。ただ、吐く技術は磨かれど、酒には一向に強くならず。
芝居の世界に入ってからも飲みの場には顔を出していた。そこは少しだけ面倒な世界だった。なにしろ喧嘩が多い。芝居観の衝突は日常茶飯事。熱い思いのぶつかり合いと言えば聞こえは良いが、そんなカッコイイものではない。やれお前の芝居はエネルギーが足りないだの、やれ観客に媚びているだの、あまり建設的なバトルでは無い事が殆どだった。そして僕もたまに絡まれた。アドバイスであれば有り難く聞かせて頂くのだが、事細かくダメ出しをして来るのには閉口した。そんなのは素面の時に稽古場で言って下さいよなんて事を思いながらヘラヘラと受け流していたものだ。
とはいえ、そういう面倒な飲みの場も嫌いでは無かった。そこには人間臭さが溢れていた。怒ったり、泣いたり、笑ったり。面倒臭さも含めてなんだか面白かったのだ。その人の生い立ちや、普段は出て来ない思いが不意に立ち上がり、ハッとする事もあった。
随分前、20代の後半頃だろうか、大学の同級生と卒業後に飲んだ。彼はとても話し易く優しい奴だった。新卒で会社に入り、しっかりと働いて充実した人生を送っているように見えた。その頃こっちは極貧の売れない役者。何者にもなれずジタバタ足掻く日々。その日を生きるのに手一杯で、持ち物は表現に対する思いだけだった。そんな立場の違う2人の飲みの時間だったが、とても楽しかった。
僕にとってのマリアージュ
数年後、彼は会社を辞めイラストレーターになった。そういうタイプでは無いと思っていたから驚いた。再会した時に転身の理由を尋ねると、お前と話したのもきっかけの一つだったんだよと彼は言った。楽しそうにやっとるなぁ、そういう道もあるんだなぁと。当時の僕は楽しく生きていた訳でもなく、どちらかと言うとしんどかったと思う。あの時どんな話をしたのかは残念ながら覚えていないが、良き時間だった事だけは覚えている。そんな事もあるんだなぁ。僕の言葉が刺さるとかそういう事ではなく、きっと酒も入っていたから、何かが彼の心にコツンと当たったのかもしれない。彼とは随分ご無沙汰だが、今も温かいイラストを描いている。
酒を飲めたとしても、20代の頃は割と勢いのあるタイプだったから滅茶苦茶に飲んだだろうし、それで体を壊したり、トラブルを起こしたりしていたかもしれないとも思う。なので良しとしよう。ただ、少し残念なのは、バーに1人で行けない事だ。昭和の文豪達が集った様な渋い老舗のバーに入ったとする。ドアを開ける。薄暗い店内。成程、良い店だ。口髭を生やした無口なバーテンダーが近付く。何にしますか? えっと……緑茶で。……え? あ、じゃあ、コ、コーラを。……え? 地獄である。
それと、もう一つ。大人の楽しみを享受出来ない事も。若い頃に無茶な飲み方をしていただろう人達が、落ち着き払ってワインと料理のマリアージュを楽しんでいたりするのだ。マリアージュ! 僕の人生には、ボディがしっかりした18℃のボルドーワインが赤身の牛肉とマリアージュする事はない。だが絶望する事なかれ、薫り高き京の抹茶と十勝産小豆のおはぎも十分にマリアージュ!様々なマリアージュが残されているのだ!
酔っ払った感覚、現実から非現実へ。それも僕には必要ないと思う。だって、芝居で非現実をしょっちゅう生きているのだから。そう考えると役者は皆酔っ払いみたいなものなのかもしれない。
ところで立ち飲み屋のおじさんは、帰りの電車で座るのだろうか? 是非座って欲しい。人は痩せたいとケーキを食べながら決意し、タイプではない男と付き合い、ベロンベロンの酔っ払いは酔ってないと言う。立ち飲みおじさんは電車の席に座り、矛盾を丸ごと抱えて眠りこけ、駅を寝過ごして欲しい。そして、そのネタを肴に、また立ち飲み屋で酔っ払ってくれたら最高だ。

つだけんじろう/声優、俳優。1971年、大阪府生まれ。1995年、アニメ『H2』の野田敦役で声優デビュー。アニメや洋画吹替、ナレーターなどの声優業と舞台やドラマなどの俳優業の両方で活躍中。
source : 週刊文春 2025年10月23日号





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