30年程声優をやっているが、アフレコ現場で大きな事件に遭遇したことはない。勿論小さな事件は沢山あるが、書いて面白がれる程のものはない。アフレコ現場というのは大体スムーズに事が運ぶものなのである。ただ、あのダメ出しは一体何だったのだ?と今でも思うものがある。
アニメの作品には、監督がいるのだが、僕ら声優が一番接する機会が多いのが音響監督だ。監督やプロデューサーの意向を汲み、芝居の演出をしていく。アフレコ現場を進め、取り仕切っていく役割。
随分昔の話だが、ある厳しいと評判の音響監督さんの現場に参加した。その音響監督さんとは初めまして。作品はSF物だったが、僕がその時演じた役は侍っぽい役。本番終わり、すかさずダメ出し。
「津田君、腰にね、紐巻くでしょう」
「はい(ん? どういうこと?)」
「それを上下させるように喋って」
「は、はい(どういうこと?)……わ、わかりま」
「じゃあいこうか」
取り敢えず前と全然違うパターンで演じてみた。
「オッケー!」
「ありがとうございます!(どういうこと?)」
ダメ出しの意味も、何がどうオッケーだったのかも分からなかったが、オッケーが出たなら良かった。腰に紐を巻くとは、帯のこと? そしてそれを上下させるようにとは、帯が上下するくらい大きな腹式呼吸で喋るということか?と分析した。今でもその音響監督さんとは現場でお会いするが、恐らく覚えてらっしゃらないと思う。だから真意は未確認だ。
これは聞いた話。友人でもある声優・木内秀信さんの持つオモシロダメ出しエピソードでとても好きなものが1つ。音響監督さんは業界でも大大大ベテラン。木内さんが芝居をしたあとにダメ出しが来た。
「おい〜、きうちぃ〜」
こういう喋り方の方なのだ。
「はい」
「ほら〜、アレだ」
「はい」
「いこうか」
ええ〜! アレって何?
木内さんは、前と違うパターンでやってみたそうだ。結果、オッケー。声優さんたちは皆、1つ2つこうしたオモシロダメ出しのエピソードを持っている気がする。その話を掻き集めた「アフレコ迷ダメ出し集」が出たら読んでみたいと思うのだ。
現場の新人さん達がたまに、同じダメ出しを何度も出されて、何テイクも重ねている姿を見る事がある。所謂「ハマる」というやつだ。前の芝居が違うという事を本人が理解していて、違う芝居をやろうとしているのも分かる。だが、同じダメ出しが来てしまう。こういう時は、大体一番やってはいけない事をやっているのだ。
それは微妙な調整だ。本人は芝居を変えているつもりだが、微妙にしか変わっていない。微妙にしか変わっていないからやはり同じダメ出しが来る。なんだったら、音響監督さんは、ダメ出しの意図が伝わってるのか不安になる。本人は変えているつもりなのに同じダメ出しが来るから混乱、そして不安になる。不安になって萎縮して、更に微妙にしか芝居を変えられなくなる。負のスパイラルが現場の空気を停滞させる。
熱を伝える
勿論バシッとダメ出しをクリア出来る芝居をするのが一番なのだが、それが出来ない場合の一番の解決策。それは、芝居をとにかく大胆に変えること。たとえダメ出しと違う方向に向かったとしても、大きく変えることでそれまでと違うダメ出しが飛んでくるのだ。そして、説明の精度を上げてくれる。その説明を受けてまた大胆にやってみる。また違ったとしても、また更に精度の高い言葉が飛んでくる。何より、全力でダメ出しに応えようとしている熱が伝わり、理想の芝居に着地させたいと音響監督さんの熱も上がる。停滞した現場が一気にクリエイティブな方向に走り始めるのだ。
こうなると見守っていた周りの人間も一気に応援をし始める。勇気を持って大胆に闘う新人の姿は心をうつ。何より、大胆に違う芝居をやってみると、意外にもヒットしたりもするのだ。僕や木内さんのように。何故オッケーだったのかも分からないが。
海外の舞台演出家さんの作品に参加した時のこと。僕が頂いた役は、様々な役者さんが日替わりで演じるゲストのキャラクターだったので、稽古には1回だけ参加させていただいた。稽古場に入り、早速僕のシーンを演じた。その場面が終わるなり、演出家さんが、「エブリバディ!」と高らかに声をあげた。3、40人はいる大きなカンパニーの方々の前で、「ケンジロー! ブラボー!」と大きな拍手。稽古場の皆さんも大きな拍手で包んでくれた。とてもホッとした。褒めるのがとても上手い。その為か稽古場も明るく素敵な雰囲気だった。
「ダメ出し」は、日本特有の言葉で、海外にはその概念自体がないと聞いた事がある。演出家が俳優に何かを言うときは「リクエスト」なのだそうだ。海外と日本の演出家、監督さんの立ち位置の違いも大きいかもしれない。
それにしてもすごく褒めてくれる方だなぁ、本番のあとはどれだけ褒めてくれるのだろう、と少し楽しみにしていた。無事に本番が終わり、「演出家さんはどちらに?」と訊いたら、「本国に帰りましたよ」。……おい。なんと、あれだけ褒めてくれた演出家さんは、開幕前に帰国し、本番の舞台をひとつも観ていなかったのだ。割り切りがすごい。それはそれですごく面白いなぁと思ったのだ。
もう慣れすぎて麻痺している言葉だが、ダメ出しという言い方はそろそろ変えても良いのかもしれない。外国に追従する訳ではないが、ダメな部分を修正するというより、作品を良い方向に持っていく行動な訳だから、やはりリクエスト的な言葉だろうか。ただ、リクエストもほんの少ししっくり来ない。どんな言葉が最適なのだろうか。誰か考えてくれないかなぁ、ダメ出ししないので。

つだけんじろう/1971年、大阪府生まれ。声優、俳優。TVアニメ「ゴールデンカムイ」に出演中、声優活動30周年記念『津田健次郎PHOTOBOOK since 1995』発売中。
source : 週刊文春 2026年7月2日号






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