「そこそこ」、それが一番似合う言葉。埃を被った記憶の箱の奥にある、語るほどのことのない学生時代。ごくごく平凡な、ほんの少しだけ微熱に浮かされたような思い出。
子供の頃から足はそこそこ早かった。走り幅跳びなんかもそこそこ跳べた。だが、球や道具を使った競技はあまり得意ではなかった。そのくせ中学の時に入ったのは軟式テニス部。理由は簡単、小学校の頃に親が入っていたテニスクラブに半ば無理やり入れられ、形だけでもテニスが出来たから。中学に硬式のテニス部はなく、だから軟式。要は何となく。ぼぉっと生きていたのだ。
軟式テニス部はかなりハードだった。朝練もあり、放課後は日が沈むまで。長期の休みも、春は満開の桜の下、夏は蝉の声に包まれ、冬は冷たい風に吹かれながら毎日練習した。
昭和のスパルタ体育会の時代。御多分に洩れず顧問の先生は怖かった。鉄拳こそなかったが、ラケットで尻を引っ叩かれるのは日常だった。
走り込みも筋トレも素振りも結構頑張っていた。だが、腕前はそこそこ。上手くなる最大のエネルギーである情熱が足りなかったのだ。何となく始めて、何となく練習。絶対に上手くなりたい、絶対に大会で勝ち抜きたい、そんな想いは持ってなかった。全国大会優勝なんか想像すらしたことがなかった。かといって、真面目に部活をやっていることにも疑問を持たなかった。
スポコン漫画を読むと、こういう球はこう返すのがセオリーだと研究したり、対戦相手の傾向を分析したり、自分の特性を活かした必殺技を編み出したり、海山川を利用した特訓をしたり、頭を使い、肉体を鍛え上げ、魂を燃やして努力している。
そんなことはな〜んにもしなかった。ただ来た球を勘で打ち返して、やれ勝っただの負けただの。試合を振り返って課題を見つけることも、次の大会に向けて弱点を克服することもなかった。
ふわふわしながらも部活はそこそこ楽しかった。仲の良い友達も居たし、中高一貫校だったから高校の先輩と一緒に練習するのも何だか面白かった。中学生から見ると高校生は随分大人に見えた。友達や先輩達と部活帰りに駄菓子屋で買い食いするのも楽しかった。とはいえテニス自体に燃えることは1度もなかった。
他の部の選択肢もあった筈だ。映画研究部はなかったが、映画が好きだったのだからそれこそ漫画の主人公よろしく部員を集めて立ち上げれば良かったのだ。薄暗い部室で、やれゴダールがどうしたと映画オタク同士で語り合えば良かったのだ。
足はそこそこ早かったから陸上部の道もあった。陸上部の顧問から「なんで陸上部に来ないんだ」と言われたこともあった。「お前は走っている時の踵の蹴りが良いんだ」という変な褒められ方もした。今だったら、そんなに褒めてくれるならと転部を考えたかもしれないが、当時は全く心が動かなかった。面倒臭かったのだ。まったく碌でもない。情熱を燃やすことなく、でもそこそこ真面目に中学3年間を軟式テニス部で過ごした。が、流石に高校になってもテニスを続けるには情熱が足りな過ぎた。何事も情熱が大切なのだ。
校則は厳しかった。今は分からないが、当時はもうバリバリに厳しかった。学ランの襟はホックをキッチリ閉め、側頭部と後頭部は刈り上げ、月に1度の頭髪検査もあった。色気付いた同級生は皆刈り上げを嫌がって検査に引っ掛かるか否か位を目指したり、ツーブロックにしてクリアしたり、試行錯誤のささやかな抵抗をしていた。短髪を好んでいた僕は毎度何事もなくクリアだった。
黒オムライスな僕
だがある時、好奇心がムクムクと。刈り上げレベルを上げてみたらどうなるのか興味が出て実行してみた。側頭部、後頭部をほぼツルツル、頭頂部に黒いオムライスがのっているような髪型にして学校に行ってみた。
校則には違反していないのだが、早速先生に捕まった。「なんやその髪型は?」「刈り上げです」「そんなもんあかん、今から切ってこい」「はぁ」という会話の後、2000円を貰って授業中に外に出された。2000円を持って小1時間フラフラと散歩、学校に帰った。「切ってきました」「よし!」まぁそんなもんか。反抗的でもなくフラットに訳の分からない髪型をしてきた黒オムライスな僕をどう扱って良いか困ったのだろう。好奇心で先生を困らせてしまったのは申し訳なかったなぁ。
軟式テニス部を辞めた僕は、坊主頭が嫌で野球部を辞めた友達や同じ帰宅部の友達たちとフラフラ過ごしていた。学校帰りに大阪難波辺りをブラッとして帰る。たまに1人で名画座。そんなモラトリアムな時間。それはそれで楽しく過ごしてはいたが、何かが欠落している感覚。何かに情熱を燃やして生きてみたいと思ってはいた。だが、何をどうすれば良いのか分からなかったのだ。本格的な熱ではなく、微熱。いや勉強せんかい。
興味のあることを片っ端から掘り下げて勉強、体験する。映画研究部を立ち上げる。金はなくとも旅に出る。様々な選択肢があったはずだ。
だが、「今思えば」だ。若さとは視野の狭さ。当時は思いつきもしなかったし、助言してくれる大人もいなかった。薄暗い映画館でジム・ジャームッシュを観てポカンとし、空前のバンドブームで皆がBOØWYを聴く中ボブ・ディランを聴き、ただフラフラと生きることしか出来なかった。いや勉強せんかい。
今思えば、全てが中途半端な学生時代。有り余る時間を無為に過ごしていたあの頃。道を踏み外す訳でもなく、夢に向かって走り出す訳でもなく、フラフラそこそこで生きることでしか見つからなかったであろう、熱くも寒くもない、不幸でも幸福でもない、微熱を抱えて感じていた空気。それが今でも自分の周囲を漂う。随分視野は広がり、行動し、何かを分かったと勘違いもするが、未だ残り続ける微熱が発火したい衝動となっている気もする。せめて表現の道だけはそこそこではなくありたいと思うのだ。

つだけんじろう/1971年、大阪府生まれ。声優、俳優。自身初となるオフィシャルファンクラブ「ツダケンクラブ」が7月1日よりグランドオープン。会員登録受付中!
source : 週刊文春 2026年7月9日号






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