(さくらいひろし/1950年、山口県生まれ。73年、松山商科大学(現・松山大学)卒業後、西宮酒造(現・日本盛)を経て、76年、実家「旭酒造」に入社。79年、石材卸業「桜井商事」を設立するも先代の急逝を受けて84年、旭酒造社長に。2016年、同社会長。25年6月、「獺祭」に社名変更。)

生まれた場所に今も住んでいるのは、割と珍しいでしょう。昔の酒蔵は職住近接どころか、ひとつの建物の中に家と仕事場がありました。現在の自宅は、同じ場所に建て直した本社ビルの最上階です。酒蔵も同じ建物の中にあります。
山あいですから、2階建てだった子供の頃は山に閉ざされている気がしました。今は、見える景色がだいぶ違いますね。
純米大吟醸の「獺祭」が世界的な日本酒ブームを牽引する(株)獺祭の桜井博志会長は、1950(昭和25)年、山口県周東町(現・岩国市)獺越に生まれた。1770年代に毛利藩から鑑札を受けて以来、この場所で続く酒蔵の長男だった。
当時は旭酒造という社名で、創業時の江戸時代の建物が一部に残っていました。1階には、十畳くらいの座敷が二間。片方にはテレビが鎮座していて、プロレス中継の夜には近隣の人たちが集まって歓声を上げていました。その隣の三角形をした三畳か四畳が、私の部屋でした。妹と2人の弟は、2階の子供部屋を使っていました。
台所と広い食堂は、土間です。夕方、外から帰った販売担当の社員に、ここで一杯飲ませるわけです。酒を仕込む冬場には杜氏や蔵人が住み込んで、みんなで一緒にご飯を食べました。きびきび働く彼らの姿に、私は誇りを感じていました。
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source : 週刊文春 2026年8月27日号






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