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「余分に生かさせてもらっている」アントニオ猪木が語った「闘病」「死」「政治」

「週刊文春」編集部
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「今までに何べんか『もうこれでいいかな』って思うくらいの気持ちになったことがあったんです。寝てもだめ、立っていてもつらい。そういう感じなんでね。一日が終わると、やれやれ今日も……と。でも、生きる死ぬの話になるとみんな暗くなっちゃうでしょう。ありがたいことにみんな心配してくれますから」

入院中の猪木(YouTubeより)

 11月27日に放送されたドキュメンタリー番組「燃える闘魂 ラストスタンド~アントニオ猪木 病床からのメッセージ~」(NHK・BSプレミアム)で、2018年以来続いている闘病の様子を公開したアントニオ猪木(78)。そして、初めて自らの正式な病名を明らかにした。「全身性トランスサイレチンアミロイドーシス」。

 その猪木が11月24日午後、テレビ電話による小誌の取材に応じた。

 黒いスポーツウェアを身に纏い、首にはトレードマークの真紅のストール。発する声には思いのほか張りがあった。

「体調は上がったり、下がったりでね。今日は少しいい方かな。何しろ夜眠れない時があるもんですから。朝まで戦って、その間にいつしか寝ているとは思うんですけど、これがなかなかキツくてね。

 みんな『頑張ってください』って言ってくれるんだけど、本音を言えば『もう頑張るのはやめようよ』『楽にさせてよ』と(笑)。今はただその日、一日を楽に生きられればいい。そんなふうに思ってるんです」

 猪木の抱える病気は、タンパク質由来のアミロイドが心臓をはじめとする全身の臓器に沈着する難病で、重症化すれば生命を脅かす恐れもあるという。国内の患者数は2000人ほど。100万人に数人が罹るとするデータもある。

「知られていない病気だけど、おそらく苦しんでる人はもっと多いんじゃないかな。治療法が確立されていない上に、何の薬を飲めばいいのかも分からず、病院の先生方も困っている。本当はああいう(闘病の)映像は見せたくなかったけど、こんなにもろくて弱い自分というものも、ひとりの人間としてあってもいいと思ってね。何より、病気が広く認識されることで、少しでも研究が進むきっかけになればいい」

 1960年にプロレスラーとしてデビューした“燃える闘魂”アントニオ猪木。72年に新日本プロレスを設立し、全日本プロレスのジャイアント馬場とともに日本のプロレス界を牽引。一方でウィリー・ウイリアムス、そしてモハメド・アリらとの異種格闘技路線を打ち出し、また71年には女優の倍賞美津子と結婚するなど(87年離婚)、その存在感はプロレス界に留まらなかった。

1976年には日本武道館でモハメド・アリと戦った

 だが、実は現役時代から糖尿病を患い、98年の引退後も腰や脊髄の手術を繰り返してきており、その体は満身創痍である。

「それこそ病気のコンビニじゃないけどね。まあ、痛みはまだいいんです。僕の人生はずっと痛みとの戦いだったから、多少のことは我慢できる。

 ただ、アミロイドは心臓を圧迫するもんですから、息ができなくなってね。何年か前に医師から死の宣告を受けているんです。期日こそ決まってないけど、いつお迎えが来てもおかしくないと。それから指折り数えてみると、もう何年だろう。自分はずいぶん余分に生かさせてもらっているんだなあと」

 昨年12月、青森の温泉地で療養中、猪木は腰の激痛に襲われ地元の病院に緊急搬送された。血圧が急激に下がり、医師の呼びかけにも応じることができないほどの状態だったという。ドキュメンタリーで紹介された看護日誌には、入院中の猪木が病室で漏らした弱音が生々しく記されている。

「もう死ぬ時が近いんだ」

「ぐっすり眠りたい」

 2年前に妻・田鶴子さんに先立たれてから塞ぎがちになっていた猪木は、病室でもため息をつくことが多くなっていた。

「人は死んでいく時は簡単に死ねるのに、生きていくのはなぜこんなにもつらいものなのか。この苦労は(病気に)なった人しかわからないと思う」

 今年5月に盲腸捻転の疑いで緊急入院した際も最期を覚悟したというが、驚異的な回復を見せて8月に退院。現在はスタッフのサポートを受けながら自宅で療養生活を送っている。

「あのまま(自宅に)戻らないつもりだったのが、戻ってきてね。天国の馬場さんが意地悪するんだよ」

 今、猪木の一日は、夜が明ける頃に目覚め、水を1杯飲むことからはじまる。

「今日は一日何が起きるのかなと、自分の中でイメージをふくらませて、でもそうこうしているうちに一日が終わってしまう。

 やっぱり漠然と過ごすより、忙しい方がいいかな。スケジュールを見て今日はYouTube(猪木のYouTubeチャンネル「最後の闘魂」)の撮影があるとか、こうしたインタビューがあるとか。反響があることも嬉しいしね。なかなか外に出たり人と会うことは難しいけど、いつか仲間たちと食べ歩きをしたい。それが差しあたっての目標です」

 闘病生活の中で、身長が10センチ近く縮んでしまった猪木。以前は治療のために1粒7000円の錠剤を日に4錠飲んでいたが、現在は服用をやめている。

「痛みが消えるとか、そういう薬ならいいんだけど、効いているのかどうかも分からない。1日に何万とかかるものですから。先生とも相談して、効果がありそうだとなったら、また飲み始めるかもしれません」

「今も答えを探し続けている」

 入院するたびに自らに問いかけてきたのが、生かされている意味だという。

「誰にでもいつかはお迎えがくるわけで、その時までに何のために生きるのかが重要なこと。いろんな病院の、いろんな天井とにらめっこしながら、自問自答を繰り返してきました。なぜ自分がこの世に生を受けたのか。生きながらえた自分に課せられた役割とはなんなのか。まだ結論は出ていませんが、今も答えを探し続けています」

 猪木は89年にスポーツ平和党を結成し、参院議員に当選。13年には日本維新の会より再び出馬し、当選を果たした。

スポーツ平和党代表時代。左は江本孟紀氏(1992年)

 通算12年、国政の場に身を置いた猪木に、いまの政治に思うことはあるのか。

「やっぱりひとつは、テレビで扱うのはスキャンダルのような話ばかりだということ。昔はね、我々がお付き合いしていただいた大野伴睦さんのように、自民党を裏でコントロールしてきた人がいたけど、そういう政治家がいなくなってしまった。コロナがこういう状況だし、思い切って不要なもの、今まで背負ってきたものをバッサリ切り捨てるような強いメッセージを打ち出せる人がいないと。

 自分も元気ですかって言いたいところだけど、言えないくらいきついときがある。今日はどうかな?」

 そして猪木は言った。

「元気ですかーっ!……やっぱり、いまいちだよねえ(苦笑)。

『元気があればなんでもできる』と言った自分が、その言葉が嘘じゃないってことをひとつひとつ証明しなくてはならない。まだ時間はかかりますが、今はしっかり両足をつけて、私らしく最後まで闘いたい。ファンはギブアップを許してくれませんから」

 燃える闘魂を奮い立たせ、猪木は病という最強の敵と今日も闘い続けている。

 

source : 週刊文春 2021年12月9日号

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