「ライバルだったと言えるとすれば、沢田研二です」。2019年のまだ早い春、ショーケンは静かに逝った――。
萩原健一がその生涯でライバルと認めた男はただひとり、沢田研二である。彼が「恋人」と呼んだ男もただひとり、沢田研二だけであった。
「週刊TVガイド」1973年11月16日号のジュリー&ショーケン特集で、脚本家の市川森一は、萩原が「太陽にほえろ!」に沢田をひっぱり出した時の言葉を引用して、ふたりの関係を語っている。市川が、殺人犯となった大学生をマカロニ刑事が射殺するその回「そして、愛は終った」の脚本を書いた。
〈“殺す行為と殺される側の間には、必ずホモセクシャルがないと成立しない。最初に床を共にする女と同じほど重要なんだ。それにはジュリーしかいない”と。ジュリーも“ショーケンになら殺されてもいい”という。まさしく精神性ホモです。これは友情の純化した姿だと思いますよ〉
萩原は同じ特集で〈ジュリーじゃなきゃできない役だったと思う。殺人犯なんだけどジュリーなら許してくれると思い、利用しちゃったんだけど〉と話している。
PYGのステージで、ジュリーとショーケンが男同士のキスを演じることがあった。デヴィッド・ボウイがギターのミック・ロンソンとゲイ的なパフォーマンスを見せるジギー・スターダスト・ツアーがスタートしたのは72年初頭、それより早いか、同時期の振り付けで、二人の時代への感度が飛び抜けて鋭かったことになる。ジュリー曰く、〈あれはショーケンとケイコの時、ああでもこうでもないって作るんです〉(「ヤング」72年6月号)
60年代のアメリカは、公民権運動からの流れで女性やセクシュアルマイノリティなどさまざまな差別が可視化され、家族の枠にとどまらない社会的な人間関係の結び直しが試みられて、現在より多様化への志向は強かった。そうした時代に生まれたアメリカンニューシネマには、男同士の絆を描く作品が多い。ショーケンのドラマ「傷だらけの天使」や、映画「アフリカの光」に影響を与えた「真夜中のカーボーイ」も、ニューヨークの底辺に生きる若者ふたりを描いた作品である。日米共に69年の公開で、成人指定にもかかわらずアカデミー作品賞を受賞。映画評論家の大森さわこは、生涯10本のうちの1本だと評する。
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source : 週刊文春 2022年1月27日号