週刊文春 電子版

歌謡曲の時代 1 「君をのせて」

短期集中連載 ジュリーがいた

島﨑 今日子

連載

エンタメ 芸能

 名だたるアーティストがカバーする「君をのせて」。名盤であるソロデビュー曲は、なぜ不発に終わったのか。歌謡ポップスの歴史を創っていった、軌跡を追う。

写真=横木安良夫

 ジャズマンだった渡辺晋と妻の渡辺美佐が、ミュージシャンの生活安定と地位向上を悲願として渡辺プロダクションを創業したのは1955年のことだった。東京芝浦電気(現・東芝)が家庭電化時代の幕開けとなる自動炊飯器を発売、日本住宅公団が発足して文化生活という言葉が流布した戦後の復興著しい年に、27歳と26歳の若き夫婦によって日本のショービジネスは、興行からの脱皮を目指すのである。

 高度経済成長期に入った62年、渡辺プロは著作権を管理するシステムを海外に学び、芸能プロとしてはじめての音楽出版、渡辺音楽出版を設立。クレージーキャッツの植木等が歌う「スーダラ節」から、レコード原盤制作に着手した。それまでの邦盤はレコード会社専属の作詞家と作曲家が作って専属歌手が歌うのが一般的であったため、レコード会社が独占していた原盤制作に乗り出したことは、業界のシステムを根幹から揺るがす革命となった。

 渡辺音楽出版は、原盤制作と楽曲の管理の他、作曲家や作詞家のマネージメントも手がけた。すぎやまこういち、村井邦彦、平尾昌晃、山上路夫、なかにし礼、岩谷時子、安井かずみといった時の才能が集まり、渡辺プロ所属でないアーティストも同社に原盤制作を任せた。東宝映画の「若大将」、加山雄三が弾厚作のペンネームで作曲した曲には岩谷時子の詞がついて、「君といつまでも」など一連のヒット曲を生んでいく。

 2017年まで渡辺音楽出版の社長を務めた中島二千六が、原盤制作を手がけた経緯を説明する。40年生まれの中島は65年に入社して以来、音楽制作に携わりながら、長く創業者夫妻の傍にいた。

「音楽出版というのは、そもそも知的財産管理の会社です。でも、渡辺音楽出版の場合はプロダクションから出発したので、管理と同時に制作も始まることになった。当初は原盤制作のイニシアチブはプロダクションがとっていて、渡辺プロのマネージャーが担当になって作っていました。中井國二が一から作り上げたザ・タイガースのレコードは、中井が中心になって制作したんです。渡辺企画や東京音楽学院ができて、60年代の終わりにはアーティストを発掘し、育て、売り出していくというグループのシステムが出来上がる。その時期から出版にも担当がつき、プロのマネージャーと一対となってレコードを作っていくという形になっていきました」

PYG担当の先輩が……

 ソロになって以降ヒット曲を連射していく沢田研二の担当者、木﨑賢治が渡辺音楽出版に入社したのは、ちょうど渡辺グループの体制が完成した頃の70年であった。

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source : 週刊文春 2022年4月7日号

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