加瀬邦彦がはじめてプロデュースした「危険なふたり」。安井かずみとタッグを組んで売り出したこの曲は、必ずオリコン1位を取らなければならなかった――。
連合赤軍事件で世間が騒然とする1972年の早春、前年の12月に発売されたアルバム「JULIEⅡ」からシングルカットされた沢田研二のソロ第2弾「許されない愛」が、リリースされた。山上路夫が作詞し、加瀬邦彦が作曲した楽曲はオリコン最高位4位の大ヒットとなり、ジュリーから「元タイガース」の冠をとって、その年の日本レコード大賞歌唱賞をもたらし、井上堯之バンドを帯同した沢田を紅白歌合戦のステージへ誘うことになる。時代の転換期に、ソロシンガー・ジュリーの快進撃が始まったのだ。
沢田研二のヒット曲を作ってきた木﨑賢治にとっても、「許されない愛」は音楽プロデューサーの原点となった曲である。「JULIE Ⅱ」はロンドンでレコーディングされたが、収録曲を集めたのは渡辺音楽出版の新人ディレクター、木﨑だった。
「その時の僕はただ曲を集めただけなんですが、『許されない愛』はベルギーのアダモのような感じのものをと作った曲でした。これがヒットしたことで、ヒットする曲とはメロディが自分の思うよりソフィスティケイトされていない、はっきりしたものがいいのだと気づいたんです。それからこういう曲を作りたいと頭に浮かぶようになり、自分の頭で描いたものを制作していきました」
この時代の人気歌手は年4枚のシングルと、半年に1枚のアルバムを出していた。「許されない愛」から3カ月後、6月にジュリーは「あなただけでいい」を歌い、9月には「死んでもいい」を歌う。2曲とも売れたが、木﨑は曲調がどんどん重厚になっていくので、次の曲は軽くしようと考えた。
「ソロ5曲目として、川口真さんの作曲した別の曲(『淋しい想い出』)があったんですが、これは重すぎるなと感じて、『もうちょっと明るい、ビージーズっぽい曲を』と加瀬さんにお願いしました」
「キミはぼくの分身だ」
それが、73年1月発売の「あなたへの愛」だ。この楽曲まで沢田研二のチーフマネージャーは、ザ・タイガースを育てた中井國二だった。スタジオではあまり口を出さない中井が、「ここの歌詞が気になるよね」と言ったので、木﨑は、作詞家の安井かずみに歌詞を直してもらう。
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source : 週刊文春 2022年4月14日号