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阿川佐和子のこの人に会いたい ゲスト・タブレット純

阿川さんと小さなレストランで、食事を緒にする夢を見ました。それが女性に初めて恋した経験です。(第1379回)

阿川 佐和子
エンタメ 芸能

 算数の文章題の不可解な設定を掘り下げて「♪そんなことより気になるの~」とギターをかき鳴らしてツッコミを入れる芸が一世を風靡した芸人さん。お話をうかがっていると、なぜかアガワに熱い視線を注ぎはじめ……。

 

(たぶれっとじゅん 芸人・歌手。1974年生まれ。神奈川県出身。子供の頃からの昭和歌謡曲好きが嵩じ、往年の人気グループ・マヒナスターズに加入し歌手デビュー。解散後は芸人としても活動中。「タブレット純の『昭和歌謡』残響伝」(週刊新潮連載)など、文筆の才も高く評価されている。)

 

阿川 今日はタブレット純さんに合わせて、昭和歌謡風のワンピースを着てきたんですけど、どうかしら?

タブレット 素敵です。カワイイ。

阿川 髪の毛黒くなさったのね。ずっと金髪で、ベルばらのオスカルのイメージだったけど。イメチェン?

タブレット 最近、ちょっとだけ変えてみようかと思いまして。その甲斐あってか、こうして阿川さんの対談企画に呼んでいただけるなんて、本当に嬉しいです。

阿川 黒髪になったからお呼びしたわけじゃないけどね(笑)。

タブレット 「大竹まこと ゴールデンラジオ!」に初めて出た頃から、大竹さんに「いつか(対談に)呼んでもらえるといいな」と励ましていただいてたんです。あれから7年経ちましたけど、もう感無量で……。

阿川 昔、私もそのラジオ番組に出てまして。タブレットさんはスタジオじゃなくて、外回りのレポーターを担当していらっしゃるのよね。

タブレット 一度、ゲストとして呼んでいただいたのがきっかけで。

阿川 そこで大竹さんに気に入られちゃったんだ。

タブレット その後、自分に一番向かないレポーターのお仕事をいただくことになっちゃって……。いまでも戸惑いながらやっております。

阿川 文化放送に行くと、和製キャロル・キングみたいな出で立ちのタブレットさんがいらして、不思議な人がいるなあっていうのが第一印象でした。

タブレット 失礼しておりました。

阿川 その後、テレビ含めて色んなところに活躍の場を広げられて。

タブレット 歌手を10年やったあとにお笑いの世界に行ってという感じなので、右も左もわからないまま今日までこうして生きてきました。

阿川 じゃ、肩書はお笑い芸人なんですか?

タブレット ご紹介いただくときは、歌手でお笑い芸人という風に呼んでいただくことが多いですね。

阿川 タブレットさんといえば、とにかく昭和歌謡に精通されてることで有名ですけど、発端は?

タブレット 小学生の頃です。父は建設関係、母は普通のパート主婦。3人兄弟の末っ子で神奈川県の相模原で生まれ育ったんですが、小さい頃からAMラジオを聞くのがすごく好きでした。当時買ってもらった、タイマー録音のできるラジカセで、玉置宏さんの番組を録ってました。そこで流れる古い歌謡曲に本当に心惹かれるようになって。

阿川 どういうものが流れてたんですか?

タブレット 自分が生まれる前のフォークやグループサウンズが多かったですね。フォークでは小椋佳さんもよく聞いてましたが、一番はやっぱり「和田弘とマヒナスターズ」でした。聞いた時に衝撃を受けました。何なんだこれは! と思って、そこからはマヒナばかり聞くようになっちゃって。

 

卒業文集に「好きな芸能人はマヒナスターズ」

阿川 『ムードコーラス聖地純礼』という本で、深海でクラゲに出会ったような衝撃って書いてらしたけど、そんなに痺れちゃったの?

タブレット 自分の求めていたもの全てがマヒナに集約されているように感じました。そんなにしょっちゅうラジオで流れるわけでもないから、近所の電器屋のおじさんに頼み込んで、昔の曲をダビングさせてもらったりしてましたね。

阿川 マヒナスターズといえば一番有名な曲は「愛して愛して愛しちゃったのよ」ですかね?

タブレット はい。たぶん、全国的にメジャーなのはその曲だと思います。元々はハワイアンバンドだったんですけど、歌謡曲をカバーしたらああいう世界観になったんですよね。小学校の卒業文集に好きな芸能人を書く欄があったんですけど、周りが中森明菜さんとかチェッカーズなんて書いている中、自分は「マヒナスターズ」と書いてしまうくらいでした。

阿川 それで将来はミュージシャンになりたいと思ったんですか?

タブレット いやいや。元々、超引っ込み思案だったので、そんな大それたことは……。

阿川 学校ではどんなタイプだったんですか?

タブレット 初めのうちはマヒナが好きっていうのもそんなに変わったことだとは思ってなかったんですけど、運動神経が鈍いのと、男の子が好きだと気づき始めてからは、自分は他の人とは違うんだっていうのがだんだんコンプレックスになってきました。

阿川 ますます内気になっちゃった。

タブレット 人が苦手っていうのもありました。家の中では家族と喋れても、外に出るとうまく喋れなかったり。そういう性格ですから。やっぱりちょっといじめられてましたね。

阿川 つらかった……?

タブレット その分、自分の好きなものにどんどんのめり込むようになりました。中学生になると、あらためてグループサウンズにハマって、レコード集めに熱を上げました。何百もグループがありますから、集め出すととても追いつかなくて。

阿川 そんなにたくさんありましたっけ?

タブレット 知られてないだけで、相当な数なんです。その内、自費出版で研究書もお出しになったGS研究家の黒沢進さんと文通するまでになりました。

阿川 そんな方がいるの? 黒沢さんは同世代ってわけでなく……?

タブレット 大人の方です(笑)。中学生相手だと不審に思われるんじゃないかと思って、50歳くらいの「土橋渉」というキャラクターとして文通をさせていただいてました。

阿川 アハハ。オジサンになりすまして!?

タブレット 黒沢さんとの文通が当時の自分の生き甲斐で、手紙が届いていないか、郵便受けをのぞくのが日課になってました。当時は相撲と野球も大好きで、阪神の弘田澄男選手が打ったかどうかで一喜一憂してましたし、麒麟児という力士に黒星が付いた日は、1日中塞ぎ込んでしまったものです。自分というものは消えてなくなってしまえばいいという絶望感がありましたけど、大好きなグループや相撲取りの調子がよければ嬉しくて、そのことだけに生きてる意味を感じられるような日々でしたね。

阿川 そういう大好きな世界に入りたいとか、その人の近くで仕事したいって思うことはなかったんですか?

タブレット 麒麟児が好きすぎるあまり、相撲部屋に入ろうとして両国までフラっと行ってしまったことがありました。

阿川 行司とかになろうって?

タブレット いや、力士に。

阿川 ホ~ッ。その細身で!?

タブレット 当然、部屋に入れてもらえるわけはないんですけど(笑)。

阿川 引っ込み思案なのに、ものすごく果敢なのね(笑)。

タブレット はい。妙な行動力は持っていました。今も芸としてラジオDJのモノマネをやったりしてるんですけど……。

阿川 永六輔さんとか。

タブレット (モノマネで)どうも。永六輔です。阿川さんとは親しくさせていただいてまして……。

阿川 アッハッハ。顔まで似てる(笑)。

タブレット  他にも大沢悠里さんのモノマネなんかを、一人遊びのように小学校の頃からやってました。数少ない友人にこっそり披露して好評だったんですけど、それが自分をいじめていた不良の耳に入って「お前、モノマネできるらしいな」と言われたんです。怖々やってみせたら、そこからいじめが緩和されたってこともありましたね。

阿川 芸は身を助く。

 

同級生に電車の中で告白を……

タブレット はい。以前、松村邦洋さんとお話しした時に、松村さんもモノマネのおかげで不良から一目置かれるようになったっておっしゃってました。その経験が今の自分に繋がってる部分もあるように思います。お笑いというものは、すごく力があるなって。でも、当時はお笑い芸人になるっていう考えもまるでなくて、高校を卒業してからは世捨て人みたいな状態になってしまってました。

阿川 この社会のどこかに自分の居場所があるはずだと希望を持つことは……?

タブレット 絶望しかありませんでした。強いて言えば、GS研究家のような仕事ができればと思ってたくらいです。高校を卒業して1年経った頃に建築の専門学校に通ったりもしたんですけど、そこも数カ月で辞めてしまって。

阿川 授業がつまらなかったの?

タブレット というより、そもそも動機が勉強したいからじゃなかったんです。高校生の頃、同級生の男性に強烈な恋をしました。卒業後も会いたい気持ちがあって、彼が大学に電車で通うそのひと時でも一緒にいられたらと思って、興味もない専門学校に通ってたんです。でもある日、電車の中で衝動的に彼に告白してしまいました。その後、電車を降りる駅までお互い無言になってしまって……。ああ自分は何をしているんだろう、人生終わったと思って、通う理由も無くなったので、学校もすぐに辞めてしまいました。

阿川 やだ、切ない~。

タブレット それからは、ただ死んでないだけって状況がずっと続きました。学校を辞めたあとは、家を出て、8年くらい同級生の父親がやってる古本屋さんでアルバイトをしていました。

阿川 日常の楽しみみたいなものはなかったんですか?

タブレット 稼いだお金はひたすらGSのレコード収集につぎ込んでいました。将来のメドなんてまったくついてませんでしたね。でも、実はその頃なんですよ。自分が阿川さんのことを大好きになったのは。

阿川 あら。私を? なんで?

タブレット 檀ふみさんとエッセイ集をお出しになってた頃です。高校時代の友人にオタク仲間がいて、卒業後も二人で会うことがあったんですけど、彼が声優について熱く語るのに対し、自分は阿川さんのことを一生懸命語ってました。最終的にその友達は、自分のことを「阿川さん」というニックネームで呼ぶようになったくらいで。

阿川 こまで!? 私なんぞが何の支えになったのでございましょう?

タブレット 一人で生きてらっしゃるっていう感覚がすごく心強くて。

阿川 檀ふみとのエッセイがちょっとだけ売れた理由を色々分析すると、読者の皆様に「自分はここまでひどくない」という慰めになったんじゃないかって説があります(笑)。

タブレット それである晩、夢を見ました。阿川さんと小さなレストランで一緒に食事をしたんです。そこからもうどんどん好きになっちゃって。初めて女性に恋心が芽生えた経験なんです。

阿川 もしかして、いま、口説かれてる? レストランくらいならご一緒しますわよ?

タブレット ああ、そんな滅相もない。だからこうしてこのページに呼んでいただいたのが夢のようで……。

阿川 それはさておき。古本屋で働いてた人が、なんでマヒナスターズに入ることになったの?

タブレット 人前で歌を披露したことなんかなかったんですけど、古本屋の同僚とカラオケに行く機会があって、そこで歌ったら案外評判が良かったんです。(野太い声で)りんごの花ほころび~♪

阿川 すごいですよね。お喋りしてる時の可憐な声と2オクターブくらい違う!

タブレット これも、ひたすら音楽を聴き続けて、一人遊びしてきた結果で身に付いたモノマネというか、声帯模写というか。仲間が面白がってくれたので、もしかしたら自分は歌が歌えるんじゃないかって思うようになりました。それで歌うことに興味が出てきて、歌声喫茶で働くことにしたんです。

阿川 今度は歌声喫茶! そこで生きる張り合いが出てきた感じ?

タブレット 今思えばそうだったかもしれません。戸川昌子さんがやってらっしゃった「青い部屋」というシャンソンのサロンにも出入りするようになったり。

阿川 戸川さんには可愛がられたでしょう。

タブレット 親切にしていただきました。シャンソンの先生を紹介してもらって、ちょっと歌の勉強なんかもし始めるようになりました。そういう時期に、マヒナのメンバーの方がやってらっしゃる歌謡教室というものがあることを知ったんです。昔からのマヒナ愛が燃えてきて、ちょっとお話を聞きに行きたいなと思って訪ねていきました。

阿川 ホント、行動力あるのね(笑)。

タブレット そのメンバーの方も、当時の自分の若さでこんなにマヒナが好きな人間に会ったことがないとおっしゃって、歌謡教室に通わせてもらえるようになったんです。実はその頃のマヒナスターズって、リーダーの和田弘さんと他のボーカル陣との間で分裂してたんです。それぞれが別のマヒナスターズを作るような状態で、自分は和田さんのほうのマヒナにお世話になってました。ファンとしては、ああ、残念だなと思っていましたけど。そしたら、教室に通い始めてひと月後、和田さんから「今日からお前はマヒナスターズだ」と唐突にメンバーに加えられてしまいました。

阿川 アハハ。どういう急展開だ?

タブレット びっくりですよね。ただ、自分のようなマヒナスターズのファンからすれば、新生マヒナはやっぱり無理があったとも思うんです。実際、お客さんの前でコンサートをやっても、あまりいいステージにできなかった。元メンバー間でのしこりも残っていましたし、マヒナ50周年を目前にして、和田さんも亡くなられてしまって……。自分のいた新生マヒナは最終的に、まるで存在してなかったかのような状況になってしまいました。

阿川 なんかつらそうなことばっかり。で、どうなさったんですか?

タブレット 和田さんからは「お前は乞食になるか、有名になるかどっちかだな」って言われたのを覚えています。思えば、期待をかけてくださってたんでしょうね。でもあの頃は、精神的にも身体的にもズタボロで。泥酔しない日はないっていうくらい、毎日お酒に飲まれるような日々でした。でも、新生マヒナはなくなってしまいましたが、自分がそこのメンバーだったってことで、地元の相模原のスナックからお声がかかるようになっていったんです。

阿川 流しみたいに1曲歌ってくれってオファーですか?

タブレット そういうケースもありましたし、タダ酒の代わりに、お姉様がたと一晩中デュエットに付き合ってやってくれ、とか。おひねりをいただくような生活で、食べるには困らなかったのでありがたかったんですけど、おかげで朝昼晩関係なくアルコール漬けの日々になってしまって。

阿川 うう……。聞くだに危ない方向になってきたぞ。

タブレット それで、12、3年前かな。今ほどじゃないんですけど、ちょっとした昭和歌謡ブームの兆しがあって、自分の経歴を面白がった雑誌に取材されたりしている内に、ある女性マネージャーから東京のライブハウスで歌わないかと誘っていただいて、東京に出てきました。

阿川 相模原って東京のすぐ隣だけど、上京したってことですね。

タブレット その頃が一番ひどい生活状況だったかもしれません。家賃3万円くらいの風呂なしのアパートで、昼は介護の仕事、夜はライブハウス回りという感じで。

阿川 一応、歌手活動は続けながら? そこに芸人という肩書が加わるのは……?

タブレット 浅草に東洋館という劇場があるんですけど、そこに出るようになったのがきっかけです。

阿川 こではどんな芸をなさってたんですか?

タブレット ご高齢のお客さんも多いので、グッと年齢層を高めに寄せた「湯の町エレジー」なんかを歌ってました。ただ出て歌うだけじゃ芸がないかなって思って、そうだ自分にはモノマネがあるなと思って、(モノマネで)「大沢悠里です。それでは歌っていただきましょう。『湯の町エレジー』!」みたいな。

阿川 か細い声からモノマネ、野太い歌声と、三段活用で笑わせる。考えましたね。

タブレット ステージで少しずつ笑い声も聞こえるようになってきました。そこからお笑いへの意欲が一気に出てきました。この場所だと畏まらなくていい、気張らなくていいと思えるようになっていきましたね。

阿川 で、少しずつテレビにも出て、トントン拍子?

タブレット とんでもない。たしかに、一時、番組のオーディションを受けるとなぜかどれも通過してテレビに出られる時期があったんですけど、阿川さんもお気づきの通り、上手に喋ることができないので、後が続きませんでしたね。

 

テレビからはお呼びがかからない!?

阿川 じゃ、テレビからは足を洗って。

タブレット 足を洗うまでもなく、お呼びがかからなくなったんですけど(笑)。大竹さんのラジオでレポーターを任された当初は、スタジオから振られても結局なにもできず、あたふたしたまま持ち時間が切れたりしたこともありました。さすがに大竹さんも「ひでえな……」とこぼしてらしたので、一度食事の席で、いつでも切ってくださいとお伝えしたら、耳元でひと言「俺がお前を見捨てるわけねえだろ」と言ってくださいました。最近はコロナもあって外でレポートができないので、スタジオに入れていただくんですけど、そこでも毎回、芸を披露してまして。大竹さんは「ひでえ」「くだらねえ」ってあきれ返ってらっしゃいます。

阿川 それがあの方の愛情表現なんですよ。

タブレット 最近、それが誉め言葉なんだと気づきました(笑)。自分でも、かなりめちゃくちゃで、ワケの分からない人生だった気がするんですけど、そうして人に喜んでいただけてるのなら、それでいいかと思ってます。

阿川 でも、ようやく居場所を見つけられてよかったよかった。じゃ、今度、レストランでお食事しようね!

一筆御礼

 

 お会いしてまもなく、共通の仕事仲間と4人で、まさに小さなレストランでの会食が叶いましたね。「アガワ」と呼ばれるほどの私の熱烈ファンなんて、そんな方には生まれて初めて出会ったものだから、照れるというか緊張するというか、最初はドキドキしましたが、相変わらずの切なくも甘い語り口と、一転、ちょっとメロディを口ずさむや朗々たる男らしいテノール声が店中に響く。つい面白がって、「じゃ、あの歌は?」「この歌も?」と私がそそのかしたせいで、とうとう他のテーブルから「うるさいぞ!」とお叱りを受けてしまい、まことに失礼いたしました。私がいけなかったの。お店にも他のお客様にも心からお詫び申し上げます。でも純さんはお酒のせいか本来の性格のゆえか、怒鳴られても平然。ゆったりとした動きで口の前に手を当てて、「ホホホ」と微笑むのみ。この世間離れした優雅な立ち居振る舞いもまた、独特な純さんの魅力と合点いたしました。

 

source : 週刊文春 2022年2月3日号

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