(なかぞのみほ 脚本家。1959年、東京都生まれ。88年にテレビドラマ『ニュータウン仮分署』で脚本家デビュー。以後、『やまとなでしこ』『ハケンの品格』『花子とアン』『西郷どん』など数多くの作品を執筆。占い師としても知られ、近著に『相性で運命が変わる 福寿縁うらない』がある。)

 

 うちの両親はどちらも九州出身。母が福岡で、父は大分の中津です。若くして上京した2人が出会ったのは、母の友人が応募した「ミスサイクリング」のコンテスト。母によると、カメラマンとして会場に来ていた父が母を見初め、帰りの山手線の中で声を掛けたとか。なかなかドラマチックでしょ(笑)。

 フリーランスの天才外科医の目を通して、医療現場の今を描いたドラマシリーズ『ドクターX〜外科医・大門未知子〜』をはじめ、数々の人気ドラマを世に送り出してきた脚本家の中園ミホさん。生まれてから小学1年生まで住んでいたのは、東京都中野区新井の小さなアパートだった。

 フリーランスのカメラマンだった父が独身の頃から住んでいた部屋に、両親と2歳違いの姉と4人で暮らしていました。ボロボロの古いアパートでしたが、大正時代に建てられた石造りの建物にはステンドグラスが付いていて、久世光彦さんのドラマに出てくるようなアンティークな感じもあったように思います。四畳半一間に、なぜか大きなベッドが造り付けられたヘンな間取りで、あとは小さなガス台を置いた台所だけ。お手洗いは共同だし、お風呂もなかったので、近所の銭湯「寿湯」へ通っていました。

 そんな狭い我が家なのに、毎晩のように父の仲間がやって来て宴会をしていました。料理上手な母が作る酒の肴が並んだちゃぶ台を囲み、お酒を飲みながらワイワイ喋ったり、楽器を演奏したり、絵を描いたり。画家や音楽家をやっている人が多く、ベレー帽を被ったおしゃれな人たちばかりで、ちょっと文化的な空気が漂っていました。それは貧しいけれどすごく楽しい記憶として残っていて、子どもながらに「大人っていいなぁ」と思いながら見ていたのを覚えています。

いつも父を立てていた母。すごく惚れていたのでしょうね

 東京で出会い、大恋愛の末に結婚した両親。「私が死んだら読んでもいいよ」と、母が遺した箱の中には、結婚前に2人が交わしたラブレターがどっさり入っていたほどだった。

 九州の女性らしく、母はいつも父を立てていました。買い物へ出かけても、荷物を持つのは母で、父は手ぶら。母の方が父にすごく惚れていたのでしょうね。親戚には「お酒ばっかり飲んで、ヒモみたいなもんだ」なんて言われちゃう父でしたが、母は一度も父のことを悪く言ったことはありません。そうやって育ててもらえた姉と私は幸せだったな、と思っています。

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source : 週刊文春 2022年2月10日号