(とがわじゅん 1961年生まれ、東京都出身。俳優・歌手。『釣りバカ日誌』シリーズなど多数の作品に出演。ソロ、「ゲルニカ」「ヤプーズ」などでの音楽活動でも知られている。今年3月31日、渋谷CLUB QUATTROでバースデーライブ開催予定。CD『戸川純の童謡唱歌』発売予定。)
蝉の幼虫は、土の中で6、7年も過ごしますよね。中学からの私も一緒。過干渉な父によって家に閉じ込められていました。でも、ずっと俳優になるのを夢見ていた。18歳になった時、家からバッと飛び出したんです。そこから“戸川純”としてのまったく別の人生が開けました。
80年代初頭から俳優・歌手として活躍し、現在、YouTubeやTikTokで『好き好き大好き』などの当時の作品が若い世代に再注目されている戸川純さん。1961年3月31日、西大久保(現・歌舞伎町)にあった新宿赤十字病院で生まれた。父は台湾バナナなどの果物を扱う貿易会社の社長、母は専業主婦。3歳年下の妹は、後に俳優となった京子。戸川さんは順と名付けられる予定だったが、叔母に「男と間違われる」と言われて順子になった。
記憶があるのは、西大久保のアパートに住んでいた3歳から。間取りは覚えていないけど、狭かったと思いますよ。
「会社の試食会で余った」と、父がグレープフルーツを持ち帰ってきて。日本では全然普及していなかったから、ミカンっぽいのに名前にグレープが付いているのが不思議だった。横に切って、スプーンで抉って食べることに驚いたのを覚えています。母は歌が好きで、童謡のレコードをたくさん買ってくれたり、戦前、戦中の歌謡曲を澄んだ鼻歌で歌いながら家事をしていました。幼稚園の頃は絵を描くのが好きな子でしたけど、母の影響で歌もよく歌っていました。あの鼻歌が、私の音楽的ルーツになっていますね。
一人で体育館の隅で発声練習した。東高円寺のマンションで一人暮らし
67年、新宿区立戸山小学校に入学。同時期に百人町のマンションへと越す。住まいは豪華で広くなり、母には頻繁に有楽町にあった日劇のレビューへ連れて行かれ、父から次々とオモチャを買い与えられた。華やかな生活を送っていたように思えるが、その実情は違っていたという。
外国人向けのマンションで、タイル張りのユニットバスにまず驚いて。しかも人生初の洋式トイレだから、私も京子も使い方がわからず、タンクに向って座ってみたり(笑)。誰かがトイレを使うとお風呂に入れないと不評でしたね。
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source : 週刊文春 2022年2月24日号