イラスト おおさわゆう

 能や狂言は、今ではすっかりファンも増えて、能楽堂やホールなどで気軽に観覧することもできるようになった。しかし、歌舞伎やミュージカルなどに比べると、やはりどうしても高尚なイメージが強いらしく、まだまだ一般の人にとっては敷居が高い存在のようだ。

 そのためだろうか。能や狂言に象徴される室町時代のイメージも、わりと近年まで「華麗」「幽玄」「伝統」といった上品な形容詞で語られることが多かった。

 しかし、少なくともまだ能が生まれたばかりの頃、能楽は演じる側も観る側も、今とはだいぶ異なっていたようだ。今回は、そんな室町の一人の能役者の生きざまから、この時代を見てみることにしよう。

 大和猿楽(やまとさるがく)の系譜をひく能役者、世阿弥(ぜあみ)は、三代将軍足利義満(あしかがよしみつ)の寵愛をうけ、若くしてスターの座を射止めることに成功した。それが、この後の能楽の隆盛を生み出す大きなステップとなったことは、よく知られている。しかし、実際には彼がトップスターの座に君臨できた時代は、さほど長くはない。世阿弥も40代以降になると、彼の芸術観が時の権力者の嗜好と折り合わなくなり、長い不遇の後半生を送ることになる。

 時代が彼を必要としなくなっていくなか、彼の周囲から一人、また一人と支援者や弟子たちも減っていった。「昔は父観阿弥(かんあみ)や犬王をはじめ、私などが及びもつかない名人や、目の肥えた観客も多くいたが、当世はどうだ……」。晩年の芸談『申楽談儀(さるがくだんぎ)』の記述のあちこちには、そんな彼の焦燥が見え隠れする。しかし、そのなかで彼が手放しで、その人格を賞賛している能役者がいる。

 その名は、十二五郎康次(じゆうにごろうやすつぐ)。「十二座」という猿楽一座のリーダーで、十二が名字、五郎が通称で、康次が実名である。十二という名字は、彼が拠点とした長谷寺に近い場所にある十二神社や十二柱神社という神社からとったのだろう。

 鑑識眼の厳しい世阿弥の評価によれば、彼の演技力は上中下3ランクのうち「下」だが、たまに「中の上」ランクの冴えを見せるときがあったという。しかし、世阿弥が評価しているのは、彼の演技力よりも、むしろ、その侠気あふれる人柄のほうだった。

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source : 週刊文春 2022年5月5・12日号