応仁の乱によって室町幕府は滅び、新たに戦国時代が始まる。というのが、かつての日本史の常識だった。ただ、実際、室町幕府は応仁の乱後もそれなりに機能し続けている。そのため現在の研究では、応仁の乱よりも、その20数年後の明応の政変という事件のほうが、戦国時代への画期として重視されるようになっている。今回は、その明応の政変の渦中で見られた一珍事を紹介しよう。

 明応2年(1493)2月、第十代将軍足利義材(よしき)は、幕府に反抗を続ける河内国(大阪府南部)の畠山基家(もといえ)を討伐するため、みずから大軍を率いて出陣した。

 足利義材とは、足利義政(よしまさ)が一度は将軍職を譲ろうとした弟義視(よしみ)の子である。父義視はついに将軍にはなれなかったが、応仁の乱の後、義政の実子義尚(よしひさ)が病死してしまったため、恩讐を越えて義材のところに将軍職がまわってきたのである。

 父の無念を引き継いだ義材の政治は、情熱に満ちていた。幕府になお隠然たる力をもつ日野富子を巧妙に遠ざけ、幕府に従わない近江(滋賀県)の六角氏を征伐するため、みずから軍事遠征を行うなど、意欲的な政治を次々と実現していく。そして、さらに幕府に反抗する河内畠山氏の討伐が決断されたのである。

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source : 週刊文春 2022年10月27日号