沢田研二の主戦場だったテレビ界の変化は顕著だった。かつて高視聴率を誇った歌番組は次々終了し、バラエティ、トレンディドラマの時代が訪れる。彼が選んだ道、そして再会。

 

 バブルに沸く1987年は超低金利時代に突入し、国鉄が民営化によってJRと改名されて、東京の地価は高騰。東京の土地代でアメリカ全土が買えると言われ、株価という実体のないものに人々が踊らされていくのである。沢田研二にとっては、波瀾の年となった。

 1月に離婚が成立した後、社会に出てからの後ろ楯であった渡辺プロダクション社長、渡辺晋が逝去する。その2カ月後の3月27日に、「京都府総合見本市会館」の杮(こけら)落としのステージに京都出身のスターとして立ち、1.8メートルのステージから転落するという大きなアクシデントに見舞われるのだ。この時、沢田は痛みを訴えながら予定通り残り2曲を歌い終えたが、終演後、救急車で伏見区にある蘇生会病院に運ばれた。左肘骨折、肋骨骨折、左腸骨骨折で、下京区の武田病院へ転院して約1カ月の入院となった。

 独立後の事務所ココロが出す5月発行のファンクラブ誌「不協和音」5号に、ジュリーの挨拶が載っている。ファンの見舞いが殺到したのだろう。

〈皆様のお気持を一身に戴いて左肘、左第7、8、ろっ骨、左腸骨の骨折も驚くばかりの快復ぶりで主治医の先生方も看護婦さん達も僕達も大変喜んでいます。入院2週間目位に右手ばかりを使っている為、ケンショウ炎になったりなんかしましたが、それ位で順調です〉〈“早く歌いたい”と思いつつ“焦らず、じっくり”と言い聞かせています。俗世間から離れて隠(ママ)やかな毎日を過しています〉

「容姿のせい」への苛立ち

 2月に2週間かけてニューヨークで録音した「告白-CONFESSION-」がリリースされたのも、まだリハビリ中の5月であった。バンドCO-CóLOを率いた2枚目のアルバムジャケットに写るスターは、全身黒のスーツに身を包み、口髭をはやして、煙草を吹かしている。これまでにないジュリーと意味深長なタイトルに、周囲はざわめいた。作曲は沢田とCO-CóLOのメンバーが手掛け、作詞は全10曲とも沢田。暗喩で彼の心象風景が映し出されている、と見る向きもあった。が、当人はそうした好奇心にはとりあわない。

「あのタイトルは、レコーディングを全部終えてからつけたんだけど、ぼくがつけたわけじゃないんです。だからね、『なんにも告白なんかしてないじゃん』って笑ったんだけど」(「éf」87年10月号)

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source : 週刊文春 2023年1月5日・12日号