「いまだ成らず 羽生善治の譜」鈴木忠平|第18回

 

鈴木 忠平
エンタメ スポーツ

 少年の将棋への思いは、海峡を越えはるか東を向いていた。翔ぶか、留まるか。深浦康市は12歳で決断した。

扉写真 弦巻勝

第七章 終わりなき春 其の一

 2007年の9月24日、深浦康市は東京から下りの電車に揺られていた。第48期王位戦。3勝3敗で迎えた第7局、その舞台となる神奈川県秦野市までは都内から2時間ほどだったが、道中ではある思いが何度も脳裏をよぎっていた。

 これが最後のチャンスかもしれない……。

 深浦は35歳になっていた。20代前半から半ばにかけてピークを迎えるといわれる棋士の世界で、30半ばで初タイトルを狙おうという自分に、これから何度もチャンスが訪れるとは思えなかった。それだけこのタイトル戦に辿り着くまでの道程は長く過酷であった。

 1990年代から2000年代の将棋界において、タイトルを狙うということはほとんど羽生善治と戦うことを意味していた。だが、どの棋戦においても羽生がいる場所へたどり着くまでには幾多のハードルがあった。あと一歩というところまで迫っても、森内俊之や佐藤康光といった羽生世代の強豪が門前の仁王像のように立ちはだかっている。深浦は何度も道半ばで跳ね返されてきた。勝率が7割を超えた年でもタイトル戦の挑戦権は手にできなかった。だからこそ、やっとの思いでつかんだこのチャンスを逃してはならないという思いがあった。

 翌9月25日の朝、第48期王位戦第7局は始まった。決着局の舞台となる鶴巻温泉の老舗旅館「陣屋」は秦野市の住宅街にひっそりとあった。1万坪の庭園が庵を囲み、非日常の静けさを生み出している。半世紀以上前には「陣屋事件」の舞台となった。名棋士、升田幸三をめぐる対局ボイコット騒動である。そこにいるだけで将棋史を感じることができる対局場は深浦の気持ちを高ぶらせた。

2カ月99円で
この続きが読めます。

有料会員になると、
全ての記事が読み放題

2024GW 特大キャンペーン 誰でも月額プラン最初の2ヶ月99円 4/24(水)〜5/7(火)10:00
  • 月額プラン

    99円/最初の2カ月

    3カ月目から通常価格2,200円

    期間限定

  • 年額プラン

    22,000円一括払い・1年更新

    1,833円/月

※オンライン書店「Fujisan.co.jp」限定で「電子版+雑誌プラン」がございます。ご希望の方はこちらからお申し込みください。

有料会員になると…

世の中を揺るがすスクープが雑誌発売日の1日前に読める!

  • スクープ記事をいち早く読める
  • 電子版オリジナル記事が読める
  • 解説番組が視聴できる
  • 会員限定ニュースレターが読める
有料会員についてもっと詳しく見る
  • 0

  • 0

  • 0

source : 週刊文春 2023年9月21日号

無料ニュースレター登録はこちら

今すぐ登録する≫

期間限定キャンペーン中!月額プラン2カ月99円

今すぐ登録する≫