関東軍主導で建国された満洲国には、日本から開拓移民と呼ばれる人たちが国策として送り込まれました。しかし敗戦によって悲惨な結末を迎えることになります。今回は満洲の成り立ちから、この移民の意味をとらえ直してみましょう。

 満洲というのは概ね今の中国の東北部、東三省(遼寧省、吉林省、黒龍江省)ですよね。ここは清朝を打ち立てた女真族(のちに満洲族)にとって、自分たちの故郷であり聖地としていたので始めは中国人(漢人)の流入を防ぐ封禁政策を取っていました。変わったのは1653年です。遼東招民開墾令を出して、「どんどん来てええで。広い土地やから開拓してや」という方針転換をしたのです。ところがその後人口が増え過ぎました。そこで1740年に再び封禁政策を取ります。「中国人は来たらあかんで。もう十分やで」と。

 それから100年、清朝の末期に政治力が弱ってきた頃の1858年、アイグン条約で黒龍江の北側、60年の北京条約で沿海州がロシア領になります。清朝は満洲の3分の1を失ったわけです。

 これはえらいこっちゃ、人がいなかったら国がもたないということで、「どんどん人来てや」という闖関東(ちんかんとう)政策を打ち出します。

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source : 週刊文春 2023年11月9日号