僕が蓄音機を回し、タンゴの曲に合せて、両親はよく家の中で踊っていました。|松崎しげる

新・家の履歴書 第855回

黒井 克行
ライフ ライフスタイル

(まつざきしげる 歌手。1949年、東京都生まれ。70年、ソロデビュー。77年、『愛のメモリー』が大ヒットする。俳優、タレントとしても活躍。近年は主催する「黒フェス」が話題に。12月23日(土)、「松崎しげる クリスマスディナーショー2023」(京成ホテルミラマーレ)を開催。)

 

 僕が生まれたのは終戦から4年後。生家は東京・江戸川区、新小岩駅の近くで、周囲にはバラックの家が点在し、高い建物など全くない。畑が広がり、その先には肥溜めがあって、というのが記憶に残っています。何もなかったけど、復興に立ち上がろうとするエネルギーが溢れていましたね。

「♪美しい人生よ〜かぎりない喜びよ〜」
 世代を超えて愛される名曲『愛のメモリー』をパワフルな声量で歌いあげる歌手の松崎しげるさん。今年齢74を迎えるも、衰え知らず、日に焼け過ぎというほどの黒光りの肌も健在だ。
 1949年生まれ、団塊の世代。下町で青春を過ごす。

 遊びの天才でした。ベーゴマでは負けなしで、友だちからは箱一杯巻き上げていました。紙芝居屋が自転車で来ると、おじさんに代わってラッパを吹いて子どもを集めたり、地元のお祭では櫓に上がって太鼓を叩いたり。もうその頃からエンタメの血が騒いでいたんでしょうね。

 親父は戦争から復員してから製糖会社を興しました。そんな親父を、おふくろは「お父さんは偉いんだから」と言って、貶したことは一度もありません。夫婦仲はよくて、僕や妹の前でも平気でベタベタして。僕が蓄音機を回し、タンゴの曲に合せて家の中で2人抱き合いながらよく踊っていました。戦中派なのに洋楽が大好きというモダンな両親にずいぶん影響されたと思います。

イラストレーション 市川興一/いしいつとむ

 生家はとにかく人の出入りが多い家でした。親父はインパール作戦の生き残りで、かつての部下がよく家に来ては「隊長殿!」とどんちゃん騒ぎをしていました。「戦死よりもマラリアで亡くなった方が多い」と聞かされていたので、今思えば、悲惨な戦場で死んだ戦友、生きて帰ってきた自分たち、平和になった日本、様々な思いを噛みしめていたのかもしれません。

 小学4年の時、余所よりもかなり早く白黒テレビがやってきて、近所ばかりか見知らぬ人まで上がり込んできて、まさに映画『ALWAYS 三丁目の夕日』そのもの。当時、テレビ見たさに人が押し寄せて床が抜ける事故が多発していたとか。幸いうちは大丈夫でしたけど。

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source : 週刊文春 2023年11月16日号

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