【前回までのあらすじ】瀬尾と同期入社だというサウンドエンジニア戸部京一に奏は電話で話を聞くことに。レコーディングのほぼ全てに関わるサウンドエンジニアの目から見ても、瀬尾が担当になってからの美月の楽曲には変化が生まれ、冒険するようになっていったと戸部は語る。さらに美月の歌手としての成長を促すため、瀬尾自ら楽譜を手に彼女を指導していたという。
政やんはファルセットやウィスパーといった基本的な歌唱テクニックを根気強く教えてました。「これから何十年と歌っていくんだから、曖昧なままじゃ通用しなくなる」って、時には厳しく接したりして。何度やってもOKを出さないときは、美月も不機嫌になって、かなり重たい空気が流れるんです。私も「政やん、粘るなぁ」って思うんだけど、気迫がすごいんだよね。決して声を荒らげたりはしないんだけど、熱量が半端じゃない。
そういうときに間に入って場を和ませるのもエンジニアの仕事だと私は思っていて、よく美月に缶コーヒー渡してフォローしましたよ。そのときは結構政やんのことボロクソに言うんだけど、それって信頼関係があるから言えるんですよね。
あの二人がいいのは、引きずらないところ。紆余曲折があってもいいものができると、何のわだかまりもないですから。根っから音楽が好きな人たちなんです。
政やんがすごいのは、シングルだけじゃなくてコンセプトアルバムも成功させたことでしょうね。彼は文学青年でしたから、常にテーマが頭の中にある。大ヒットした『Number』は「人生を数字で切り取る」っていうコンセプトで、各曲の歌詞にその人にとって大切な数字が出てくる。こんなこと普通考えつかないですよ。アルバムのテーマって大体「愛」とか「旅」とかでしょ? そんな歌詞に特徴があるアルバムなのに「曲先」でつくるところが、また彼らしい。人の心に引っ掛かるのは、まずメロディだって知り尽くしてるんですよ。池田さんも映像が浮かぶアレンジをしてくれてましたし、プロがプロの仕事をしてましたね。今はいきなりお金の話をする人が増えましたよ。「予算がない」とか言って。
最近、特に思うんですよ。奥田美月っていう才能に関わらせてもらって、本当にラッキーだったなって。
歌手は頭一つ抜けてるものがないと生き残れないですけど、彼女の場合は、天が何物も与えてた感じですね。
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source : 週刊文春 2023年12月7日号