(たなはしひろし 新日本プロレス代表取締役社長、プロレスラー。1976年、岐阜県大垣市生まれ。立命館大学法学部卒業。99年、新日本プロレスに入門。2006年7月、IWGPヘビー級王座を初戴冠。プロレス大賞MVPを4度受賞。23年12月、現役選手のまま新日本プロレスの第11代社長に就任。)

 

 昨年12月、新日本プロレスの代表取締役社長に就任しました。選手として新日本の業績がV字回復する経験はできたので、今度はコロナで停滞したビジネスを社長として盛り上げることで“W字回復”させる野心が出てきましたね。

 新日本プロレスのエースで昨年社長にも就任した棚橋弘至選手は、1976年、岐阜県大垣市に生まれた。

 僕は長男で、二つ下に弟、四つ下に妹がいます。父は長男だったので、祖父母と同居の三世帯住宅でした。うちは代々大垣市で、母も各務原市出身。両親はともに中部電力で働いていて職場結婚でした。家は国鉄に勤めていた祖父が建てた家で、きょうだい3人とも個室が与えられていました。庭も広くて柿の木が3本も植えてあったので、秋になると毎年その柿を食べてましたね。

 

 僕の「弘至」という名前は、アントニオ猪木さんのファンだった父が、猪木さんの本名「猪木寛至」から一文字いただいたものです……とよく説明していますが、「弘」一文字でも「ひろし」と読めるのに「至」を付けたのにはもう一つ事情があって、母方の祖父が「弘一(こういち)」っていうんですよ。そしたら父方の祖父が、「なんで棚橋家の長男に母方の祖父から一文字もらわなきゃいけないんだ」って怒ったので、「至」を付けることで収めたらしいです(笑)。

 プロレスを見るようになるきっかけはおばあちゃんでした。うちは居間とおばあちゃんの部屋にそれぞれテレビがあって、子供たちは見たい番組によって部屋を移動していたんですが、おばあちゃんは金曜夜8時からやっていたプロレス番組を必ず見ていて、僕も一緒に見るようになったんです。いちばん古い記憶は、1983年に行われたアントニオ猪木vs国際軍団(ラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇)の一対三変則タッグマッチ。子供ながらに3人を相手に闘う猪木さんを「すげえな!」って思ったのを憶えていますね。うちは父も祖父もプロレスは好きだったんですけど、いちばん熱心だったのはおばあちゃんでした。“元祖プ女子”ですね(笑)。

大学ではプロレス同好会とテニスサークルに。趣味を追求する一方で、頻繁に合コンも

 83年、大垣市立小野小学校へ入学。89年、大垣市立東中学校に入学する。少年時代は野球に熱中した。

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source : 週刊文春 2024年5月2日・9日号