くも膜下出血で急逝した治則。彼の“負の遺産”は多くの人生に影響を与えていく。葬儀を境に遺族の間では微妙な距離が生じ、そして愛人の裕子もまた、途方に暮れるのだった。

 

 三連休を利用して軽井沢で妻や友人らとの会食を楽しんでいた高橋治之のもとに弟、治則の異変を知らせる電話が入ったのは、2005年7月17日の午後のことだった。治則の秘書を務めていた女性からで、治則がくも膜下出血で倒れ、救急車で病院に担ぎ込まれたという。

 治之はすぐにクルマを飛ばして東京の慶応病院へと向かった。しかし、病院に到着した時、ベッドに横たわる治則はすでに瞳孔が開いており、脳死に近い状態だった。

 蘇生の見込みがないことから、家族の同意を得て、人工呼吸器が取り外されたのは、翌日の午前9時36分のことである。享年59。

 実は、その直前に、治則の長女の婚姻届が役所に提出されている。彼女は10日ほど前に一橋大学出身の会社経営者と帝国ホテルで結納を済ませ、10月に結婚式を挙げる予定だった。治則は長女の結婚相手をいたく気に入り、周囲には「今後は高橋コンツェルンの再興に向けて一緒にやっていきたい」と語っていた。

 ウエディングドレスも注文し、着々と結婚準備が進むなかでの突然死だった。2人の婚姻届の証人欄には、すでに治則と相手方の父親のサインがあり、治則が死亡すれば、婚姻届は無効となってしまう。そのため婚姻届を提出したことを確認してから、死亡の手続きがとられたのだ。

 治則の遺体は、千代田区三番町のマンションの部屋に運ばれた。治則は目黒区八雲に“5億円”の豪邸を所有していたが、バブル崩壊後に競売で売却されており、以前に暮らした三番町に居を戻していた。

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source : 週刊文春 2024年6月20日号