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「暴行の末、石炭や薪の上で火をつけられた」 中国共産党による第二の“文化大革命”を止めるため日本人に知ってほしいこと

モンゴル民族から文字と文化が奪われようとしている#2

2020/10/09
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 宴会場の片隅では、母が若いモンゴル人女性と抱き合って泣き崩れていました。女性の後ろに立つ老人が白い木箱を抱えながら涙を流していた。私はその姿を見つめて、ただ立っていることしかできませんでした。そして、そのシーンは、肉スープの香りとともに、私の記憶に刻み込まれました。

 あの光景は、一体なんだったのか……。

©️Toru Yamakawa

 後年、母に聞いてみると、老人は文革で虐殺された息子の遺骨が納められた木箱を抱えていたそうなのです。泣いていた若い女性は、遺骨となった男性の妻でした。

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 殺されたモンゴル人男性は、若くして副旗長(「旗」とはモンゴル民族伝統の行政区域)を任せられるほど人望が厚く、有能な人だったそうです。しかし文革の集会で批判され、殴る蹴るの暴行を受け、気絶してしまった。そのまま石炭や薪の上に置かれて火をつけられた。意識が戻って立ち上がろうとした男性は、今度は角材で何度も殴りつけられて、ついには焼死してしまったのです。男性の頭蓋骨には、角材に打ち込まれた長い釘が何本も刺さり、ほとんどの肋骨が折れていたと言います。

――凄惨な暴力ですね……。

 私たちの世代にとって、9月からはじまったモンゴル語教育禁止政策は、どうしても過去の記憶と結びついてしまいます。

75年ぶりに全世界のモンゴル人が団結している

 とはいえ、未来を悲観しているばかりではありません。文革は、たくさんのモンゴル人が支持しましたが、いま、モンゴル人で、モンゴル語教育禁止に賛成する人なんていないでしょう。それに、ある意味で、私は習近平さんに感謝しているんです。

モンゴル語で書かれた教科書 ©️Toru Yamakawa

――感謝ですか?

 そう。だって、75年ぶりに全世界に散らばるモンゴル人が団結できたわけですから。

   1945年8月9日、満州国(一部が内モンゴル東部)にソビエト連邦軍とモンゴル人民共和国軍が侵攻し、内モンゴルが解放された。終戦後、内モンゴルの人たちは、モンゴル人民共和国(現モンゴル国)と一緒に独立できると考えていたのです。結果的にいえば、内モンゴルは中国の自治区となり、モンゴル人は、中国、ソ連、そしてモンゴル国とバラバラになってしまった。それが、70年ぶりに「モンゴル語を守ろう」と一気に、一致団結できたんです。

――ですが、予断を許さない状況ですよね。

 中国内で民族問題を抱える新疆ウイグル自治区、チベット自治区で、中国政府は好き勝手振る舞って、漢化政策、同一化政策を推し進めてきた。香港の民主化も押さえ込みました。モンゴルも同じようにできると考えたのでしょう。