文春オンライン

ヤクザの息子として育てられた少年時代…一流の競艇選手だったオレが八百長に手を染めた理由

『競艇と暴力団「八百長レーサー」の告白』より #1

2020/11/22
note

デビュー当時の思い

 2020年1月8日、俺は共犯者の元暴力団員、増川遵とともに名古屋地検特捜部に逮捕された。

 特捜部の検事は、どこから集めてきたのか、俺がデビューする前に1年間学んだ競艇選手養成所「やまと競艇学校」(現・ボートレーサー養成所)の卒業時に制作された記念のパンフレットを持ち出し、やけに丁寧な調子でこんなことを言った。

「他の皆さんはみな、1日も早く大きなレースに出て優勝したいとか、賞金王決定戦で優勝したいとか、選手としての夢と目標を語っているのに、あなただけ“カネを稼ぎたい”とありますね……」

ADVERTISEMENT

 それが本心だったのだから、仕方がないだろう―そんな表情を作って見せると、検事は上目遣いにこっちを見ながらこう続けた。

「ある意味、あなたはこのときの目標に向かって、ブレることなく突き進んできた。そう言えるかもしれないですね……」

 確かに、俺は競艇が好きで選手になったわけではない。だが、入ったときから不正で稼ぎたいと考えていたわけでもない。他の選手が「賞金王になりたい」というのと同じ意味で、より簡単に「稼ぎたい」と言っただけのつもりだったが、検事的な視点からすると、すでに競艇学校時代から俺には「模範性」の欠如が垣間見えるということらしい。

 逮捕されてから約8ヵ月間、俺は名古屋拘置所に収容され、取り調べを受けた後に起訴された。その間、新型コロナウイルスの感染拡大が本格化し、8月に保釈されシャバに戻ったとき、世の中はマスクだらけの風景に一変していた。

©iStock.com

実刑判決を受け入れる覚悟

 公判では、事実関係について一切争わなかった。事実と違う点は多々あったものの、俺が不正に関与したという大きな事実は変わらない。本質ではない部分を争うために抵抗するのは無駄だし、弁護士の先生の「裁判官の心証を悪くする」という言葉にも納得したので、あえて反論しなかった。

 求刑は懲役4年、追徴金は3725万円。近く判決が出ることになるが、自身の罪は認め、たとえ実刑判決であってもそれを受け入れる覚悟はできている。許されないことをしてしまった俺だが、反省する気持ちまで失ったわけではない。