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「遺書を書こうと思ったぐらい落ち込みました」日帰りハイキング→遭難4日目に20代女性が“絶望”を感じた意外な“ある出来事”

「遺書を書こうと思ったぐらい落ち込みました」日帰りハイキング→遭難4日目に20代女性が“絶望”を感じた意外な“ある出来事”

『ドキュメント生還』より #2

2024/05/05

genre : ライフ, , 社会

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待つべきか、行動したほうがいいか

 しかし、助かるためには待つべきなのか、行動したほうがいいのか、その判断がつかなかった。が、最終的に4人は行動することを選んだ。

 このままでは発見されずに捜索が打ち切られてしまうかもしれない。だったらやれることをやったほうがいい。まだ歩ける体力があるのだから、沢を下りていこう。時間がかかっても、下りていけばどこかに着くだろう――という判断だった。「動けない」と言って反対した祖父は、「ここにいてもしょうがない。いざとなったら私がおぶるから」と早苗が説得した。実際に歩き出してみると、なんとか歩くことはできた。母親が肩を貸そうとすると、「大丈夫だ」と手を払いのけるぐらいの元気があった。

 歩きはじめて約30分後、4人のすぐ真上にヘリが飛んできたが、今回もまた通りすぎていってしまった。ヘリが来ては行ってしまうたびに絶望するのはもうたくさんだった。

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「これからはヘリをあてにせず、自分の力で下りよう」

 そう思うことにした。

写真はイメージ ©iStock.com

またしてもヘリが近づいてきた

 それから15分ほどして、またしてもヘリが近づいてきた。機内にいる救助隊員の様子がわかるくらいの至近距離、ローターに木の枝が絡まりそうなぐらいの超低空飛行だった。そのときに妹が持っていた手拭いを振り回し、早苗と母親が斜面を駆け上がって合図を送った。ヘリは4人がいる場所を通り過ぎそうになったところで旋回し、またもどってきた。ようやく発見してもらえたのだった。あとで聞いた話によると、妹が振り回した手拭いが救助隊員の視界にちらっと入り、よく見てみると早苗と母親が斜面を登って合図しているのが見えたとのことだった。

 早苗と母親は「助かった」と号泣しながら抱き合った。なかなか発見してもらえず、助けられることが想像できなくなっていたので、ほんとうに助かったことが信じられなかったのだ。妹も泣いていた。ヘリから救助隊員が下りてきたときには、祖父も「よかった、よかった」と言って泣いた。

 4人はふたりずつ2回に分けて山麓に搬送され、ただちに入院の措置がとられた。幸いだれにもケガはなく、1、2日で退院することができた。