昨年1月に「放牧」を宣言して活動を休止していたいきものがかりが、去る11月3日、グループの19回目の結成記念日に「集牧」し、活動を再開した。集牧後初のステージは、この大晦日に2年ぶりに出場するNHK『紅白歌合戦』となる。そのいきものがかりのリーダーである水野良樹は、きょう12月17日が誕生日で、36歳を迎えた。

デビュー10周年を過ぎて「放牧」した理由

いきものがかりのメインソングライター水野良樹(左)は1982年12月17日生まれ

 水野は神奈川県立厚木高校時代、小学校からの同級生である山下穂尊(ほたか)と一緒に路上ライブを始めた。いきものがかりはそのとき命名したもので、2人が小学生のころ、クラスで飼っていた金魚に餌をやる「生き物係り」だったことに由来する。しばらくすると、路上ライブに彼らの同級生の妹の吉岡聖恵(きよえ)が加わり、3人組として活動をスタートさせた。

 いきものがかりはその後、路上ライブやライブハウスでの活動を経て、2006年3月、シングル「SAKURA」でメジャーデビュー。以来、「帰りたくなったよ」(2008年)、「ありがとう」(2010年)、「風が吹いている」(2012年)など数々のヒット曲を生み出してきた。「放牧」はデビュー10周年をすぎたのを機に、《それぞれの未来を、もっと広げるために。3人の物語を、もっと長く、もっと楽しく、続けるために》メンバーそれぞれが一度、自由になってみようということで宣言された。

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「『放牧』前と後で曲作りへの考え方が変わった」

 水野は放牧期間中、ほかのアーティストに提供するため楽曲を70~80曲書いたという(※1)。それと並行して、NHK・Eテレの番組で作詞家・阿久悠の軌跡を関係者などと対話しながらたどったり、広告・クリエイティブの専門誌『ブレーン』で各分野のスタンダード商品の開発者にインタビューしたりと、ほかのクリエイターから話を聞く機会も多かった。阿久悠に関しては、阿久が遺した未発表詞に水野が曲をつけ、当時アイドルグループのNMB48に所属していた山本彩に提供もしている。

 水野はこれらの仕事を通じ、つくり手としての自らの考え方や手法を見直すことにもなったようだ。たとえば、放牧前のある鼎談では《音楽って本来は自分自身の中にあるものを表現するものだと思っていた》、《でも続けるうちに、「自分のことを言わないほうがいい。聞いてくれる人がどう思うかを大切にする」という方向に自然に変わっていきました》と語っていたのが(※2)、放牧期間中の糸井重里との対談では、さらに以下のように考え方が変わってきたことを明かしている。

《じつはぼくはしばらく、「多くの人たちに届く歌を作るには、自分の存在が、歌から完全に消えたほうがいいのかもしれない」とか思っていたんです。でもこのごろ、違うんじゃないかと思いはじめていて。(中略)聞いてくれる人たちとつながるためには「自分」がゼロではダメだというか。そうしないと、コミュニケーションが成立しないんですよ》(※3)