“微妙なバランス”のなかで続く秋篠宮さまのご発言
1989年1月に平成となり、翌90年6月29日、文仁親王と川嶋紀子との結婚を機に秋篠宮家が設立された。秋篠宮夫妻はその後、新しい平成の皇室にふさわしく、「親近感」を与える存在というイメージを確立していく。
秋篠宮は、やはり前述した微妙なバランスのなかで、自らの意思を会見などで明らかにしていく。1996年11月、31歳の誕生日に際しての記者会見では、「週刊新潮」が「タイに親しい女性がいる」と報道していたことに対し、「根も葉もない女性問題に話が広がっていった」、「そういうことは全くない。火のない所に煙が立った」、「非常に想像力が豊かな人が記事を書いたのだと思う」、「完全に事実と異なる報道がなされた。不満を持っています」と記事を批判した(「朝日新聞」1996年11月30日)。このように特定の報道に対して皇族が批判をすることは異例であった。
しかも、秋篠宮はかなり強い調子で「週刊新潮」を非難しており、かなり憤っている様子がわかる。自らの明確な意思を持ち、皇族という立場でありながら、それを表現する。週刊誌報道に対して批判をする秋篠宮は、自分の意思を公にする存在として捉えられた。
皇太子さまの「人格否定発言」を「残念」と評した
その後も、秋篠宮の発言は続く。2004年5月には皇太子が静養中の雅子妃について「雅子のキャリアや人格を否定するような動きがあった」と発言した、いわゆる「人格否定発言」があった。それに対して秋篠宮は同年の誕生日に際しての記者会見で、「記者会見という場所において発言する前に、せめて陛下とその内容について話をして、その上での話であるべきではなかったか」と述べ、皇太子発言について「残念」と評した。また皇太子が公務のあり方を再考することを求めたことに対しても、「私は公務というものはかなり受け身的なものではないかなと」と述べ、それとは異なる考え方を提起した。皇室のなかに多様な意見があることを表明しつつ、一方で天皇の下に自らがある(だからこそ前もって相談すべきと述べている)ことを強調している。秋篠宮はそのあたりのバランスをとりながら、その後も発言をしている。
その後も、2009年には皇族の数が今後減少していくという問題について、「国費負担という点から見ますと、皇族の数が少ないというのは、私は決して悪いことではないというふうに思います」と発言する。今回の大嘗祭に関する発言を予感させる主張とも言えるだろう。2011年には天皇の「定年制というのは、やはり必要になってくると思います」と述べたが、その後の天皇退位に関する報道によれば、すでにこの時期に天皇は退位の意思を周辺に話していたようで、秋篠宮はそれを受けてこのような発言をしたのではないか。秋篠宮は天皇の意思を踏まえつつ、発言しているように思われる。