2月6日に宮内庁から発表された秋篠宮眞子内親王と小室圭さんの「結婚延期」は、1ヶ月が過ぎた現在もメディアで大きな話題となっている。たとえば、「週刊現代」2018年3月10日号の「『私、絶対に結婚するから!』 一途な眞子さまに秋篠宮夫妻が下した決断」では、これまでの週刊誌報道を受けても小室さんとの結婚に強い意思を示す眞子内親王に対し、両親である秋篠宮夫妻がそれをとどめようとしている姿を紹介している。この記事の真偽自体はここでは置いておくが、問題はこの「結婚延期」がまるで現代版の「ロミオとジュリエット」のように、「自分たちの意思だけでは自由に結婚できない眞子内親王の存在」を前提としている点である。本当に、眞子内親王は自由に結婚できないのだろうか?
天皇や皇族は「国民」とは見なされない
実は、日本国憲法と天皇・皇族の関係性がこの問題の背景にある。日本国憲法第24条には「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立」すると書かれている。本人同士の意思があれば結婚できると憲法が定めているように、私たち国民には多くの基本的人権が認められている。ところが、天皇や皇族は「国民」とは見なされない。
「結婚延期」が宮内庁から発表された翌日、「日本経済新聞」の皇室担当である井上亮編集委員は、今回の事態を憂慮する解説を掲載した。小室圭さんの家族への「バッシングともいえる報道」が、「『皇族の結婚相手としてふさわしくない家柄』というレッテルを貼る空気を助長する」ことだとして、結婚には「これ(※憲法第24条)以外の要件は何もない」と強調した(「日本経済新聞」2018年2月7日)。
新聞メディアにおいて、秋篠宮眞子内親王と小室圭さんの「結婚延期」はやや扱いにくい話題だったようで、他には評価を含んだ報道がほとんどなかった。この井上氏の解説はその中では異彩を放っているが、「これ以外の要件は何もない」という指摘は問題の本質を突いていて、重要な見方である。皇族の結婚は、いまだに「憲法第24条の枠外」にあることを示したのが、今回の「結婚延期」という事態だった。
そもそも、天皇と皇族には私たちと同じ「戸籍」がなく、宮内庁が保管する「皇統譜」という帳簿に「身分に関する事項」が登録されていて、国民とは異なる待遇を受けている。天皇・皇族と国民を分けた背景には、戦前からの連続性という部分が大きい。一般国民とは異なる存在と見られていた戦前の意識を持ちながら、「象徴天皇制」という制度が作られたため、天皇・皇族と国民との待遇が異なるという「ねじれ現象」が起きた。