卒業後は「親に借金してバイトをやめました」
――卒業のタイミングでは「将来こうしよう」と考えていましたか?
槙田 その時点では疲弊しちゃったので、もう表に出る仕事はしたくないと思ったんです。ひっそり生きようと(笑)。活動休止期間は大学に行くことと後輩グループの振り付けだけをやっていて。そんな生活にめちゃくちゃフラストレーションが溜まっていたんです。いままでは自分のやりたいこと、思っていたことはすべて発信できていたのに、それができなくなって、インプットとアウトプットのバランスがとれなくなってました。それで、私は表と裏の両方をやりたい人なんだと気がついたんです。そこからはブレてません。まぁ、卒業直後はニートでしたけど。
――バイトもしていたんですよね。
槙田 でも、社会不適合者だから続かなくて(笑)。ルーティーンができないんです。同じ時間に同じ場所に行く、という刺激のなさに耐えられなかったんです。毎日違う仕事をやって、いろんな人にあって、ステージに立って、という刺激的な生活を送っていたから。「自分は普通に働けないダメ人間なんだ」って落ち込みましたよ。でも、ネガティブに考えても仕方ないので、「イレギュラーな世界で生きていく人間なんだ」と気持ちを入れ替えて。親に借金してバイトをやめました。恵まれた環境だからできたことですよね。
事務所をやめた瞬間から「食える」ようになった
――地方出身の子だったらそうはいかなかったかもしれない。
槙田 そう思います。神奈川の実家にいたので。仕事がないので事務所もやめました。「PASSPO☆じゃない自分には価値がないんだ」と思っていたんですけど、それは事務所に入っていたからだなと。どこかに属している意味合いを感じなかったんです。どこの事務所もそうだと思うんですけど、「何がやりたい?」と聞いてくれるんですよ。希望に沿った営業をしてくれるのかもしれないけど、私は「なんでもやりたいです」としか言えなくて。振り付けの仕事をやりたいし、お芝居に興味もあるし、ラジオパーソナリティーやレポーターだってできると思います……そんなことを話すと、「ひとつに絞って」と言われるんですよ。私は全部やりたいのに、それはダメと言われているようで。だったら事務所をやめてしまえと思ったんです。8年間所属していたんですけど、やめると決めてから退所が決定するまで2日しかかかりませんでした(笑)。
――そんなに早くできるもんなんですね。
槙田 プラチナムのいいところは「去る者は追わず」なところなんですよ。
――仕事も継続させてもらって。
槙田 そうですね。連載も全部続けさせてもらって、プラチナムのグループの振り付けもさせてもらって。本当に優しい事務所だと思います。
――事務所をやめても振り付けの仕事は増えてますよね。
槙田 事務所をやめた瞬間から仕事が増えだして、食えるようになったんです。オファーする側は連絡がラクだし、私からのレスも早いので。自分のことは自分でしなきゃいけないと覚悟を決めたことも大きかったと思います。事務所にいるとどうしてもスタッフの方に頼ってしまう。頼るから不満が出てくるわけじゃないですか。「仕事を持ってきてくれない」と嘆くのは、自分の力で何もしようとしてないからだと気づきました。