12月14日、政府は米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古の新基地建設に向け、辺野古沿岸部に土砂を投入、海の埋め立てを開始した。沖縄県は辺野古移設に反対してきたが、政府は押し切る構えだ。関連する発言を集めてみた。
玉城デニー 沖縄県知事
「民意をないがしろにし、県の頭越しに工事を進めることは、法治国家そして民主主義国家において決してあってはならない。地方自治を破壊する行為で、本県のみならず、他の国民にも降りかかる」
朝日新聞デジタル 12月15日
土砂投入が始まった14日、玉城デニー知事は会見で安倍政権への怒りをあらわにした。前日にはツイッターに「対話は継続する。されど対抗しなければならないことにはきっぱり対抗する。言いなりにはならない」と書き込んでいる。
対話は継続する。
— 玉城デニー (@tamakidenny) 2018年12月13日
されど対抗しなければならないことにはきっぱり対抗する。
言いなりにはならない。
計画では全体で約160ヘクタール(東京ディズニーランド3個分超)の海域を土砂で埋め立て、米軍キャンプ・シュワブの陸地分と合わせて2本の滑走路をV字に配置した約205ヘクタールの基地を造ることになっている。
普天間移設問題、これまでの経緯
普天間基地移設問題が持ち上がったのは1995年のこと。米兵による小学生の少女暴行事件をきっかけに普天間基地の返還運動が起こる。1996年、橋本龍太郎首相とモンデール駐日大使の間で「普天間基地の移設条件付返還」が合意されたが、候補地の選定や条件などが折り合わず暗礁に乗り上げたままだった。2004年、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したことで基地問題が注目を集めるが、2006年に日米両政府は「名護市辺野古崎にV字形の滑走路を造る計画」(現行案)に合意する。
民主党・鳩山由紀夫代表(当時)の「最低でも県外」発言などがあったりしながら、2012年に第2次安倍晋三政権が誕生すると、県内移設を拒んでいた仲井眞弘多沖縄県知事が辺野古移設のための国の申請を承認。仲井眞氏は2014年の知事選で「辺野古移設反対」を掲げた翁長雄志氏に惨敗を喫する。翁長知事は「辺野古沿岸の埋め立て承認」を取り消し、承認問題は県と国との法廷闘争へ。2018年8月に翁長氏が死去すると、翁長氏の後継として辺野古移設反対を掲げた玉城デニー氏が過去最多得票で当選した。