「安河内駿介、メジャーリーグに挑戦します」
12月18日、突如としてMLB挑戦を表明したこの男は、今年5年ぶりに公式戦のマウンドに立ち、既に24歳。そして、NPBの経験は無い。“普通なら”現役を引退する要素は十二分に持っている。だが彼は辞めないどころか、最も厳しい道を選んだ。
出会いを最大限に生かす男
中学1年時に最初の右ひじの怪我をし、熊本・秀岳館高校でも3番手。最後の夏は救援として登板した県大会準決勝で逆転打を浴びて甲子園出場の夢を絶たれた。
そんな安河内が一時、脚光を浴びたのが東京国際大の下級生時代。「ひたすら野球が上手くなりたい、150キロを投げたい」との一心で貪欲に取り組み、1年春から登板機会を得ると、2年時にはエースとして創価大ら強豪校とわたり合った。だが3年時に右ひじを痛めると、4年時には右肩が上がらなくなった。野球は諦めて就職活動をし、地元福岡の大手企業から内定を得た。
そんな時、転機が訪れる。高校時代から診てもらっていた福井県にある山内整骨院に引退の報告をすると、「一度ウチに来い」と言われ施術を受けた。すると、上がらなかった右肩が上がるようになり、3日後にはネットスローができるまでになった。そこで安河内は現役続行を決意。安定の道を捨て、大学同期のマネージャーに紹介してもらった世田谷学園高校でコーチを務めながら所属チームを探すことにした。
その頃、よく通っていたのが土居進のもとだ。
土居は、高校時代は帰宅部、慶大時代は軟式野球サークルに在籍し、大学卒業後に大手企業で働いていたが一念発起してトレーナーに転身。その後は魔裟斗、内山高志、八重樫東といったトップレベルの格闘家に信頼されるトレーナーとなっていった。
そんな中、東京国際大で非常勤講師を務めていたことがきっかけで安河内と知り合った。当時、安河内はすでに怪我をしており試合で投げる姿は見ていないが評判は他の野球部員から聞いていた。
第一印象は「特に下半身にパワーはあるが“耐える筋肉”がない」というもので怪我がちなのも頷けた。「腐ることなく真面目にやっていましたね」と土居が振り返るように、浪人の間は国内トップレベルの格闘家らとともに汗を流しながら、広背筋や体幹や下半身を中心に鍛え上げた。それまでは投球時に肩や肘が疲れやすく、踏み出した左足の力も生かしきれていなかったが、そうした欠点が改善されていった。
また、パーソナルトレーニングに来ていた企業の社長から人生訓を学んだり、世田谷学園の選手たちを教えながら自らも学ぶなど浪人生活は思いのほか充実したものだった。