コモンスペースに対する態度のあいまいさ
ともあれ、これらのように、タワーマンションに迎賓ポエムが目立つのは、エントランスや外構部などが充実しているがゆえだろう。多くの戸数を擁する大規模物件ならではだ。中にはコンシェルジュサービスからポーターサービス、スカイラウンジ、バー、ライブラリー、フィットネス、プールなど、まさにホテルかと見紛う共用サービスを備えているタワーもある。
これら共用部を詠うポエムが「迎賓」一辺倒であるところに、もしかしたらぼくらのコモンスペースに対する態度のあいまいさが現れているのではないかと思う。それぞれの住戸を詠う際には「くつろぎ」「やすらぎ」をはじめ、時には「活力」「誇り」などさまざまな表現が使われている。プライベート空間の価値はポエムになっても、このように多様だ。ところが共用部になるととたんに「迎賓」ばかりなのである。みんなで使うスペースをどのようにしたらいいのか、に関してもてあまし気味なのではないか。公共での振る舞いがどういうものであるべきかわからないとき、とりあえず「客」として自分および他人を扱うのがてっとりばやい、ということかもしれない。
街は「選択して利用する」消費財なのか
さあ、ここでさきの南青山の物件に戻ろう。件のマンションは実は下のようなポエムも詠っている。
前回、マンションポエムを読み解くと「街は、ある性質と機能をもった資源として選択するものになっている」ことがうかがえる、と書いた。もしかしたらぼくらは街を、自ら関わり形づくっていくものというより選択して利用する消費財のように扱ってはいないだろうか。「住みたい街ランキング」といったような指標にもそれが表れているように思う。
他の街からやってきてマンションに入居することが、あたかも客としてエントランスをくぐることのように描かれているマンションポエムたち。「客」になったとき、人は支払い可能額でフィルターされる。ブランドに見合った可処分所得を持っていない人はお断り、ということだ。「街のブランド」とはそういうものでいいのだろうか。今回、南青山のマンションポエムを見て、そんなことを思った。