文春オンライン

「母親はずっと子どもと一緒にいるのが幸せ、それで満足すべき」という社会への疑問

「産後ケアをすべての家族に」マドレボニータ創業者・吉岡マコインタビュー#1

2019/01/09
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学歴があっても、乳飲み子を抱えていた私にはチャレンジする機会すらなかった

――その思いは共感しますが、なぜ自身も産後まもない頃、教室を立ち上げるほどのエネルギーがあったのでしょうか?

吉岡 乳飲み子を抱えて正社員として採用してもらえないなら、自分で仕事を作ろうと。そこまで追い込まれたからこそできたんだと思います。当時の自分が持っているリソースでできるものといえば、場所代とバランスボール代ぐらいで始められる産後ケア教室しかありませんでした。何より、自分の直感に従って行動したのだから間違ってないはず、自分で選んだ道だからこそ開拓していこう、と自らを鼓舞していました。

 

――実際に教室を開いてみてどうでしたか。

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吉岡 来てくれた方にはとても喜んでもらえましたし、手ごたえもありました。ただ、当時は集客に苦労しましたし、ビジネスモデルというものもよく分かっておらず、4か月で閉鎖になりました。その後も問い合わせは来ていたので、「必要とされている」ことは間違っていないと思っていました。

――就職を考えたこともありますか。

吉岡 大学院を中退して新卒一括採用のチャンスを逃した私には正社員として企業に雇われるという道は既に絶たれていました。選択肢としてあったのは、時給のパートの仕事のみです。どんなに学歴があっても、キャリアがなければ乳飲み子を抱えた人間にはチャレンジする機会すら用意されていないという厳しい現実に直面したんです。一度契約社員として就職はしましたが、残業できないという理由で正社員にはなれませんでした。そこで、時給800円のフィットネスクラブのアルバイトを始めたのですが、契約社員の頃より自分の自由になる時間が生まれました。そこで休みの日を使って、教室を再開しました。

 

正社員じゃないからこそできた起業

――契約社員からアルバイトになったことで時間ができ、教室を開けたんですね。

吉岡 自分の生活を自分でデザインできたのは、正社員になれなかった自分の特権だったと思います。もし正社員でお給料やボーナスが保証されていたら、多少のことは犠牲にしてもそちらを選んだかもしれません。でも、私には失うものが何もなかったから、自分が本当に優先させたいものは何かを純粋に考えることができたんだと思います。私が望んだのは、明るいうちに子どもを迎えに行けるライフスタイルと、自分が本当にやりたいことをやる時間を持つことでした。ただ、この方法は誰もができることではないし、正規雇用と非正規雇用の大きな格差は深刻な社会問題だと肌で感じています。もっと寛容なセーフティーネットが日本には必要だと思っていますが。