2018年末のパリの金曜日は、毎週台風襲来の前夜のようだった。テレビカメラは週末に「黄色いベスト」がどこに来るか、どれくらいの規模になるのかをこぞって予想し、店はショーウインドウに厚いベニヤ板を打ち付けて、固唾を呑んで待っていた。

12月15日、ベニヤ板の上に「開店中」だと知らせる貼り紙が 筆者撮影

金曜の夜でさえ、レストランは一杯

 1968年の「5月革命」の時には、ソルボンヌ大学やオデオン座などが学生や労働者たちに占拠されて、学生街カルチェラタンには連日バリケードが燃えていた。1995年11月の「年金改革反対」運動の時には1カ月以上、メトロもバスも止まった。しかし「黄色いベスト」は土曜日だけ。ストライキではないので平日は皆働いているのと、地方から上京する参加者が大半だからだ。それで、金曜日の夜でさえもまったく普段と変わらず、レストランは一杯で、集まった客たちはワイングラスを傾けている。

「燃料税の増税反対」は“最後の一滴”にすぎない

「黄色いベスト」運動は、10月頃から、地方のラウンドアバウト(環状交差点)の占拠から始まった。燃料税の増税への反対で、地方は車で移動しなければいけない、だから切実な問題だったのだ。その映像や訴えがSNSにアップされて、全国に広がった。政党や組合、有名人が呼びかけたわけではない。高速道路の料金所の占拠、石油基地や大型スーパーの入り口封鎖などが次々に起きた。

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 そして11月17日に、一部がパリへやってきた。「第1幕」の幕開けだった。11月24日の「第2幕」で、シャンゼリゼにバリケードが築かれ、車が燃やされた。12月1日の「第3幕」では、シャンゼリゼに警察による警備を集中して、彼らをその中に閉じ込めようと試みた。だが、そのために端のほうに位置するエトワール広場へ群集が集まり、周囲の大通りに溢れる結果となった。広場の中心の凱旋門は破損してしまい、その映像が世界中へ流れた。

「第2幕」と「第3幕」の間の11月27日に、マクロン大統領がテレビの前で原発削減やエネルギー転換などの環境対策を語った。環境税反対で始まった運動だったため、その答えを出したつもりだったのだろう。だが、エリート学校の口頭試問のような演説は、庶民との乖離をあからさまにしただけだった。

マクロン大統領 ©getty

 燃料税は最後の一滴となって、庶民の怒りをあふれ出させただけにすぎない。「まじめに働いても、一向に生活に余裕が生まれない」という怒りだ。しかも、燃料税の引き上げ分は環境対策に使うというが、実際には2割程度しか使われず、その他は財政赤字の補てんに使われる。マクロンが最初に廃止した金融資産への富裕税を復活すれば同じだけの税収が入る。そういうことは、庶民にも知れわたっていた。