昨年、私は戦争終結直後のベルリンを舞台にした小説を書いた。その際、ソヴィエト連邦の軍人をどう描写するかと頭を悩ませた。ロシアの文化に触れる機会は少なく、戦後からアメリカ寄りの日本では「ソ連=悪」と考えるのが普通で、そこに住む一人一人の顔を見る前に、インパクトの強い共産主義国家が目に付いてしまうせいもあった。調べてみると、一層途方に暮れた。核心が見えたと思ってもまるで逃げ水のように近づけず、調べれば調べるほどわからなさが増していくのだ。
『ガルシア=マルケス「東欧」を行く』は、『百年の孤独』などで著名な世界的作家が、新聞社の記者だった頃に「鉄のカーテン」の内側を巡り執筆したルポルタージュである。時は一九五七年前後、スターリンはすでに世を去り、フルシチョフが台頭、ベルリンの壁はまだ築かれていない。ソ連は第二次世界大戦に勝利し共産圏を拡大したものの、富と自由を喧伝する西側の資本主義国に人民が流出し続け、焦っている。
さらに強化した言論統制や国境警備などにより道を塞ぎつつある情勢下で、ブルージーンズを穿いた若きガルシア=マルケスは、東ベルリン、チェコスロヴァキア、ポーランド、ハンガリーを旅する。ナチスが去った後にやってきたソ連に監視されるようにして、国家を立て直した国々だ。
旅のはじめガルシア=マルケスは共産圏の暮らしを「色褪せ」「かわいそう」だと感じる。窮屈で寒々しく、シャツも買えず、書類の手続きは面倒で、みじめで非合理的な暮らしをしていると、遠慮会釈なく書く。その目線は良くも悪くも現代人と似ていて、不満ならなぜ反抗しないのかと問いかけもすれば、資本主義国に近い雰囲気を持つ国には、居心地の良さを感じもする。
だが、さすがガルシア=マルケスというべきか、ルポの主軸はあくまでも人だ。真の自治を望む人々の怒りを知る一方で、その理想が一枚岩ではないことも書き、煙草を貸そうと一斉に手を延べてくる人々など、彼らの素朴な顔を活写する。特に顕著になるのがチョープからモスクワへ向かう列車での出来事だ。厳しい体制をもたらす当事国に生きる普通の人の人懐こい振る舞い。矛盾が同居する様に、想像が及ばぬほど巨大なロシアの国土を重ねる点に私も共感した。
その後、ソ連の軍によって制圧され、血が流れた直後のハンガリーも訪れる。翌年、ガルシア=マルケスの祖国コロンビアが軍事政権下となったことを思うと、沈むように深い余韻を感じる。
本書を読んでも、あの時代を、人々を、完全には理解することはできないだろう。だが「善悪」や「混沌」などの単純な言葉でまとめてもいけない。矛盾を抱える人間が苦悩し、喜び、一分一秒を生きたことは、一つ一つ紐解き考えるに値する尊いものだという思いがした。
Gabriel García Márquez/1927年コロンビア、アラカタカ生まれ。ボゴタ大学法学部中退。新聞記者として働きながら55年に処女作『落葉』を出版。67年『百年の孤独』を発表、世界的ベストセラーとなる。82年にノーベル文学賞を受賞。
ふかみどりのわき/1983年、神奈川県生まれ。小説家。著書に『戦場のコックたち』『ベルリンは晴れているか』などがある。