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「僕を“給料泥棒”って呼んできて」

 真っ先に文句も言わず、文字通り先頭を走ってくれたのが“ON砲”こと王貞治と長嶋茂雄であった。この二人が黙ってついて来てくれたおかげで、他の選手達も鈴木の指示を聞くようになっていった。

「王さんは120%頭が野球の人だから、調子が悪くなると一回野球のことを忘れさせなければいけない。だから雨の中を延々一緒に走り込んだことがありました。それで頭空っぽにしてもらったら、次の日ヒットを3本打ちました。長嶋さんは、調子が悪くなると周りに気を使って反対にどんどん明るくなる人なんです。彼は全身がバネだから、ジグザグ走やミニハードルで、バネを身体に溜め込むようなトレーニングをしてもらいました」

 だが、400勝の大投手、金田正一には苦労させられたという。

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「金田さんは、唯一僕に敬語を使ってくれなかった人でね。僕を“給料泥棒”って呼んできて。“章介”っていつも呼び捨てにされていました。いつか頭下げさせてやろうと思っていたんです。そしたらコーチになって5年目、あの人が肘を痛めて398勝で止まってた時、“章介、ワシはもうこれで終わりだ”って言うから“398と400で終わるのどっちがいいですか?”って聞いたんです。“400に決まっとる”って言うから“じゃあ僕に身体を預けて下さい”って言ったら“わかった”と。

 その時は“ざまあみろ”と思いましたよ。あの人は毎日二人がかりでマッサージさせてたので、筋肉が柔らかくなりすぎてたんです。だからマッサージをやめさせて、筋肉を硬くしてもらいました。筋肉は柔らかくなりすぎるとダメなんですね。そしたら400勝を達成して、あれは自分のことのように嬉しかった。三人には、オールスターの時も宿題を出していたんです。当時のオールスターなんてお祭りみたいなものでしたけど、その時も王、長嶋、金田の三人は外野を全力で走っていた。球界を代表する三人のそんな姿を見て若い選手はびっくりしたそうです。そうやって段々みんな言うことを聞いてくれるようになりました」

文句も言わず、先頭を走ってくれた長嶋茂雄と王貞治 ©文藝春秋

栄養面の指導も

 鈴木の練習メニューは、今でいう“メンタルトレーニング”の役割も果たしていたことがわかる。鈴木は更にこんな指導も行なっていた。

「帝国ホテルの調理師に聞いて、栄養面を勉強して、既婚者の選手には奥さんに“こういうメニューで食事を作ってください”とレシピを渡していました。だから奥さんたちには随分喜ばれましたよ、当時はスポーツ選手の奥さんたちでもそういう知識はありませんでしたから。私達陸上選手にとっては常識だったんですけどね」

 言わば鈴木は、フィジカル、メンタル、そして栄養士と一人三役をこなしていた。現代では当たり前かもしれないが、65年当時からこれだけ近代的な取り組みをしていたのだから、巨人V9は必然だったと言える。

「川上さんとのエピソードで、忘れられないものがあります。私は試合が始まるといつもスタンドで観ていたんですけど、優勝が決まる試合では“今日はベンチにいろ”と言ってくれたんです。そういうことも考えてくれていた人だったんです。全部川上さんのおかげですよ。私だけではなく、当時の球界はOBを引っ張ってくるのが当たり前だった中で、荒川さんやヘッドコーチの牧野さんなど、巨人OBでない人をコーチにした。野球界の大改革だったんです。どうして川上さんが私にコーチとして声をかけてくれたか? それは聞いたことがないからわからないな」

 もしかしたら、前代未聞のコーチ職を設けるために“東京五輪出場”という肩書きが必要だったのかもしれない。川上は批判の多い人事を断行していた、その中で周囲を説得するために、五輪の熱狂を利用したのではないか。東京五輪がなければプロ野球の近代化はもっと遅れていたかもしれない。

優勝が決まる試合では「今日はベンチにいろ」と言ってくれた川上哲治氏 ©文藝春秋

 64年東京五輪に出場した選手達の多くは、鈴木と同じ様に引退後は後進の指導に当たっている。五輪ではどうしてもホテルや上下水道といったインフラが語られがちだが、偉大な指導者達を残したことも“遺産”の一つとして語り継がれて欲しいと思う。
最後に鈴木は、2020年の目標をこう語った。

「2020年東京五輪の聖火リレーをやりたい。そのためにもコンディションを整えておくつもりです」

 鈴木の両脚が止まるのは、もう少し先の話になりそうだ。

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