【大山くまおからの推薦文】
中日ドラゴンズ、代打の一番手として送り込むのはライターのカルロス矢吹さんです! 謎だらけの経歴を持つ若手ですが、ナンシー関を発掘したえのきどいちろうさんが才能を認めた男というだけでも一読の価値アリ。愛情こめて、あの選手について語ってもらいます。
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今年のドラゴンズ、良いですね。
開幕して一通りセ・リーグのチームと対戦し終えて、借金こそ抱えてますが、素直にそう思いました。少なくとも5位に沈んだ去年までとは全然違う。打ちまくってる新外国人、“髭の”アルモンテに注目が集まってますけど、生え抜き選手たちが良い。特にドラフト1位で指名された開幕メンバーが好調を維持していて嬉しいですね。
開幕投手の小笠原慎之介、12球団完封一番乗りの柳裕也、開幕から無失点継続中のルーキー鈴木博志、投手陣は言わずもがな。野手でも、スリムになった平田良介、プロ入り以来“今年は違う”と毎年言われ続けてきた高橋周平、この二人も怪我さえなければ年間通してやってくれそうな予感がしてます。
それともう1人、堂上直倫も良いんですよ。今のところ(4月16日現在)9回からの守備固めで、サードやファーストでの出場がほとんど。打つ方は1打席無安打。だけど良いんです。
「日本一の夢を堂上直倫くんに託します」
2006年の高校生ドラフト一巡目指名で入団した堂上直倫は、多くの中日ファンにとって特別な思い入れがある選手だと思います。父の堂上照は元中日の投手で、引退後に選手寮の寮長まで務めました。兄の堂上剛裕(現・巨人スカウト)も一足先に中日に入団していて、当時は親子兄弟三人が中日ドラゴンズのユニフォームを着たということで、大きな話題になったことを覚えています。
なかでも、直倫に僕らファンがかけていた期待は凄まじいものでした。なんせ、当時まだ中学生だった直倫は、2003年ファン感謝祭の余興(中日ドラゴンズvsリトルシニア東海選抜)でピッチャー福留孝介が投じたボールを広いナゴヤドームのレフトスタンドに叩き込んでいます。その後、直倫は愛工大名電の主力として甲子園に3度出場し、高校通算55本塁打。高校時代から「プロ入り」が注目される選手は数多いですが、中学時代から「中日入り」が注目されていた選手なんて中々いません。
ショートを守れる将来有望な大型高校生内野手として、同期に田中将大や斎藤佑樹といった有望株がいながら中日・阪神・巨人の3球団から1位指名を受け、クジ引きの末に中日ドラゴンズと結ばれました。あの時ほど「運命」という言葉を噛み締めた瞬間はありません。当たりくじを持ってガッツポーズをする西川球団社長が、聖母マリアに受胎告知をする天使ガブリエルに見えました。
ドラフト会議後、時の中継ぎエース落合英二が自身の引退式で「成し遂げられなかった日本一の夢をここにいる選手・コーチ、それにこのナゴヤドームのどこかで見ている堂上直倫君に託します」という異例のスピーチを行ったことからも、選手たちの間でも直倫への期待は異常なほどに高かったであろうことが伺えます。
ではプロ入り後のキャリアがその期待通りだったかというと、そうではなかったと思います。何より、直倫自身が一番納得いっていないのではないでしょうか。特に、自身の外れ1位で巨人に入団した同い年・同じショートの坂本勇人の活躍は、ファンも見ていて忸怩たるものがありました。(いつかは直倫も……)坂本のプレーを見る度に、中日ファンの誰もがそう思っていたはずです。
背番号1を背負った直倫は、10・11年のセ・リーグ二連覇に大きな貢献をしてくれたと思います。井端弘和離脱の穴を埋めて、特に守備面でチームの力になっていました。翌12年もよく試合に出ていました。ただ、守備は良くても打てなかったことが原因なのか、その後は中々活躍の場を掴めず、主にショートで試合に出ていたのは助っ人外国人のエルナンデス。背番号を戦力外となった兄・剛裕がつけていた63に替え、16年にチームは最下位ながら初の規定打席に到達。「いよいよ直倫がブレイクする」と思った矢先の翌17年、ルーキー京田陽太が颯爽とショートに現れ、気がつけば「安定した守備固めの人」という役割がすっかり直倫に定着してしまいました。打席に立つ回数も限られたものとなり、坂本勇人と直倫を比較する声もほとんど聞こえません。