「沖縄のガンジー」やカメジローもハンスト
「沖縄、不屈の歴史 ハンストは権力への意思表示」(1月19日)
《沖縄では戦後27年間の米国統治時代から現在に至るまで、民衆が非暴力の手段で米軍の圧政や基地問題などの政治的な課題に抵抗してきた歴史がある。》
として、記事中ではいくつも例をあげているのだがここでは二つ抜粋する。
まず1955年、沖縄北部の離島・伊江島。米軍による土地の強制接収に対し、
《生活の糧となる農地を奪われた伊江島の島民は、後に「沖縄のガンジー」と呼ばれた阿波根昌鴻(あはごんしょうこう)さん(故人)を先頭に、55年7月から沖縄本島をむしろ旗を掲げて歩いて回る「乞食(こじき)行進」で約7カ月かけて窮状を訴えた。非暴力の訴えは共感を呼び、米軍の土地の強制接収に抗議する大規模な「島ぐるみ闘争」へと発展した。》
沖縄にもガンジーはいたのである。
そして、1957年1月に那覇市長に就任した瀬長亀次郎だ。映画「米軍が最も恐れた男~その名は、カメジロー」(佐古忠彦監督)で取り上げられ、その功績にあらためて注目が集まった伝説の人物。
《米軍の基地拡張に反対した瀬長さんは、逮捕や市長当選後わずか11カ月での公職追放など米軍の圧政にさらされながらも、ユーモアを交えた演説などで反基地運動の先頭に立つ姿が圧倒的支持を集めた。》
《瀬長さんの資料を展示する那覇市の「不屈館」の館長で次女の内村千尋さん(73)によると、瀬長さんも本土への渡航制限撤廃を求めてハンストに取り組んだことがあったという。》
カメジローもハンストをやっていたのである。
毎日新聞の記事を読むと、「沖縄の人たちは常に、理不尽なことに抵抗したり、声を上げたりすることで、民主主義や権利を勝ち取ってきた」ことがわかる。
思うのだけど、ハンストを「冷笑」した人は、主義主張は実は関係ないのかもしれない。そこまでやることで誰かの心が揺さぶられるのを見たくないだけなのかも。
だから「体を張っても結果は変わらない」とまとめたい。ホッとしたい。
でもそれって冷笑どころか、かなり自分の心が揺さぶられたのだと思います。
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